当記事では、高市早苗さんの家系図や両親について書きました。
高市早苗さんの国籍は純粋な日本人となります。
父親は大休さんで母親は和子さんとなります。
父親は設備機械メーカーの営業で母親は奈良県警勤務で、かなり仕事意識の高い人達でした。
両親はかなり厳しく大人になってからも怒られる事がありましたが、かなり多くの事を教えてくれた人達となります。
当記事では、そんな高市早苗さんの両親について書きました。
旦那さんや結婚歴に関する情報はこちらです。
子供さんやお孫さんに関する情報はこちらです。
高市早苗の家系図&国籍は?
こちらが、高市早苗さんの家系図となります。
高市早苗さんの国籍は生粋の日本人です。
2012年9月1日のコラムにて
両親は、戦中戦後の混乱期を生き、子供時代には十分な食べ物も無く、兄弟が多い中で苦学をし、家庭を築き、人並みに我が子を育てるために必死で働き続けてきた平凡な昭和ヒトケタ生まれの日本人です。
しかし、改めて振り返ってみると、「日本人としての生き方」の基本は家庭で学んできたのだと確信できます。
と書かれてる部分からも国籍は日本人である事が分かりますね。
高市早苗の母親の和子は奈良県警勤務!
高市早苗さんの両親は共働きでした。
母親は高市和子(かずこ)さんで、奈良県警に勤務していました。
ただ、警察官ではありませんでした。
子育てや祖父の世話で大変な時期にも、夜遅くまで家事をして、職場には朝誰よりも早く着いて、同僚の机をふき花を活ける事は職業人として母親のプライドだったそうです。
高市早苗さんは小さい頃から朝早くに炊き上がりご飯と最初に入れた水とお茶を仏壇に供える事をしていました。
夜に母親は仏壇から下げた固くなったご飯をお茶漬けにして食べていました。
この姿は高市早苗さんと弟さんにとっての食育となりました。
ご飯粒ひとつも無駄にせずにご先祖様に感謝しながらお下がりを頂く母の姿は、私や弟にとって最高の「食育」でありました。
2018年4月16日に心不全により86歳で亡くなっています。
ちなみに、母親は2015年に心停止状態で病院に運ばれた事があります。
高市早苗さんはすぐに駆け付けるも
入院先の病室に設置してた心拍数や呼吸数の情報をナースステーションに送る「テレメータ」なる設備の電波状況が悪く、うまく通信ができないという状態である事にショックを受け、その様な状況の中で高市早苗さんは心停止で生死の境をさまよう母親を朝まで見てたそうです。
その病院は先進医療を行ってる総合病院だった事から、全国の病院でも上記の様な状況が起こっているのでは?と考えた事により、「医療機関の電波環境の整備」に着手したそうです。
高市早苗の父親は大休で営業マン!
こちらは、1歳と高市早苗さんと父親の画像です。
高市早苗さんの父親は大休(だいきゅう)さんとなります。
父親は設備機械メーカーの営業で、お客さんから相談があれば真夜中でも日曜でも、遠方まで車で行っていました。
高市早苗さんは、素直に勤勉に働く事の尊さは両親から学びました。
父親は噂ではトヨタ系列の会社に勤務してたのでは?と言われています。
父親は2013年5月5日に79歳で亡くなっています。
高市早苗と両親(父・母親)とのエピソードまとめ
高市早苗さんは両親から人として常識をたくさん教わり、今でも尊敬をしています。
大人になってからも、小さい時から両親に繰り返し教えて貰った事は思考や行動の物差しとなってるそうです。
両親に教わった事は
「他人様に迷惑をかけることは絶対にしないこと。早苗ちゃんが過ちを犯したら、家族全員がお天道様の下を歩けなくなるのだよ」
「職業に貴賤は無いよ。汗水たらして真面目に働くことが尊いのだよ」
「陰で他人の悪口を言わないこと。言いたいことは直接本人に伝え、その場合も、相手の気持ちをよく考えること」
「毎日、ご先祖様に感謝をすること」
「食べ物は粗末にしないこと」
「学校では、先生の教えに従うこと」
「家族も集団生活なのだから、他の家族が不愉快になる振る舞いはしないこと」
などになります。
大人になってからも多くの事を教わり、「親には適わないな」と感じる事ばかりでした。
では、そんな高市早苗さんと両親とのエピソードを見て行きましょう。
学生時代に引っ叩かれる
高市早苗さんが学生時代に先生が理不尽な怒り方をしたと両親に行った際に、両親に引っ叩かれたそうです。
両親は高市早苗さんの主張を理解していましたが、先生を尊敬し素直に学習させる方が重要と考えての行動だそうです。
大人になってからも怒られる
その後、社会人になった後も、両親に怒られ、教えられる事は多かったそうです。
20代で大学教授をしてた時に、母親から電話があり、かなり怒られました。
偶然、貴女が討論番組に出ているのを観たけれど、どんなに考え方が違う方と議論しても、相手を追い詰めないこと。必ず逃げ道を残して、相手の面子を潰さないように女性らしい気遣いをしなさい
引用:コラム
初めて選挙に立候補する事が決まった時にも「決して個人攻撃をしない」と両親に言われ、選挙戦で対立候補の批判をせず自分の政策だけを言うスタンスは「要領が悪い。やられっぱなしで見ていられない」と後援者の声が出るも、今ではそれは高市早苗さんの誇りだそうです。
父親の手紙が選挙の背中を押す
初選挙で落選をし、2度目の選挙の際に「あと一期待ちなさい」と後援者から止められてて、公示日目前に苦悩してた時に、夜に家族が寝てる家に帰宅すると、キッチンの机の上の父親の手紙が置いてて
俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って! 握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ
高市早苗さんはこの手紙を泣きながら抱きしめ、出馬表明を行う決意をしました。
元々、父親は直進型の高市早苗さんにいつも堅実に生きる事を言い続けて来ましたが、選挙の決断で苦しんでる時には背中を押してくれました。
記者を追い返して怒る
初当選後に高市早苗さんの全く見覚えのない中傷記事を書こうと実家まで週刊誌の記者が来た際に、かなり一方的で失礼な事ばかり言う記者を母親は玄関口で追い返すと、父親は母親も物凄く怒り
記者さんだって仕事で来ているのだ。暑い中を東京から来られたのだから、冷たいおしぼりとお茶を出して休んでいただくのが礼儀だろう
と言ったそうです。
自己責任を教わる
高市早苗さんの両親は自己責任と言う言葉も教えてくれました。
元々、選挙に出る際には両親には猛反発をされたそうで、国会議員になった後に実家に帰りに「あー疲れた」と言うと、両親にビンタされ
とかなり怒られて、「家族も集団生活なんで、家族が不愉快になる事は決して言わない。家に帰ったらどんな辛い事があろうが疲れてようが常にニコニコしていなさい」と言われたので、その教えを守って生きて来てるそうです。
20代は両親の期待を裏切り続けた
高市早苗さん曰く、自身の20代は両親の期待を裏切り続けたそうです。
両親は高市早苗さんに
家の近所の短大に入って、卒業後は近鉄電車か奈良県県庁か南都銀行のいずれかに入って安定した職につき、そこでいい人を見つけて結婚して欲しい
と言った事を望んでいました。
その為、両親は「短大じゃない学校に行くなら、学費は1円も出さない」と言われました。
高校時代からバイトをしてたので受験料までは払えたけど、第一志望の早稲田大学には入学費まで払えたけど、学費が払えずに断念をし、その為に国立の神戸大学に進学しました。
大学時代は、学費を全額払わないといけないので、家庭教師を4件と飲食店を1件とかなりの量のバイトをしていました。
両親の反対を押し切り、違う道を進んだのは
今思うとどっちでも良かったと思うけど、中学生ぐらいの時から上記の内容をずっと言われ続けて来てたので、大した目標はなかったけど反発をしたかったそうです。
以上が、高市早苗さんの家系図や父・母親に関する記事でした。
両親はかなり厳しい人達であった事が分かりますが、素晴らしい人達であり、今のブレない芯が強い高市早苗さんの根っこの部分を作った人達である事が分かりますね。
コメント