高市早苗さんは結婚歴は2回となります。
2回とも結婚相手は元衆議院議員の山本拓さんとなります。
高市早苗さんが2003年11月に落選をした事がきっかけで、結婚されました。
2004年6月に電話で山本拓さんにプロポーズをされ、2004年9月に入籍をされています。
そんな2人はかなりの仲良し夫婦でしたが、お互いの政治的スタンスの違いで2017年7月に離婚をしています。
高市早苗さんは突然に山本拓さんに離婚を切り出されたので、かなりショックだったみたいです。
とはいえ、離婚後も2人の関係は良好で、再婚をした事を2021年12月のフライデーでスクープされています。
当記事では、そんな高市早苗さんについて書きました。
再婚についてはこちらです。
子供と孫に関する情報はこちらです。
両親や家系図についてはこちらです。
高市早苗の結婚歴は2回!
引用:フライデー
高市早苗さんの結婚歴は2回で、どちらも相手は山本拓さんです。
一方の山本拓さんの結婚歴は3回で、高市早苗さんとの結婚の前に違う人と離婚を経験しています。
高市早苗さんと山本拓さんが再婚した事は、2021年12月17日のフライデーで山本拓さんの連れ子で息子の福井県議・山本建さんがコメントしています。
「11月下旬に父から電話があり、『また再婚する』と言われました。聞いたときはびっくりしましたが、もう父も70歳近くですし、一人でいられるより安心なので、ありがたいです」
夫と結婚するまでの経緯は?
2人の結婚は2004年9月で、高市早苗さんは初婚で山本拓さんはバツイチで子持ちでした。
結婚については、2004年9月23日の高市早苗さんのコラムで報告をしています。
高市早苗さんは、2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で落選し、少し時間的に余裕ができ
自分の家庭を築いた上で、政策的にも人間的にも幅が広げられるといいだろうな
と漠然と考える様になりました。
ちなみに、母親にも落選の翌日に「これを機に結婚相手を見つけ欲しい」と言われていました。
元々、山本拓さんとは同じ清和会所属で、かなり前から面識があるも
- 高市早苗さんは山本拓さんに対し、不愛想でどちらかと言えば苦手
- 山本拓さんは高市早苗さんに対し、性格がきつそうな女性と悪印象
と言った感じで最初はあまり良くない状態でした。
ただ、山本拓さんは高市早苗さんが落選後の2003年11月に
僕も落選経験が有るので、落選直後の大変さは分かります。短期間で国会事務所の撤収や秘書の再就職先探しもしなければならないでしょうから、力になれることが有れば遠慮なく言って下さい
と励ましの電話をくれ、「親切な人」と感じました。
さらに、高市早苗さんの秘書を務めてた弟の再就職先が山本拓事務所で、いらなくなったFAX機も取ってくれた事で、山本拓さんに親しみを感じる様になります。
その後、2004年5月下旬に山本拓さんと会います。
そこは経済人との意見交換の場で、その時に企業役員に
今のうちに高市さんに結婚相手を見つけてあげなければなりませんね
と話され、高市早苗さんも
ちょうど結婚を前向きに検討したくなっていたところですので、御社の社員さんで良い方が居られたらお世話して下さいね
と返しました。
その話を聞いてた山本拓さんが2004年6月下旬に電話で
真剣に結婚相手を探しておられるんでしたら、僕もバツイチですので、立候補しますよ
と言われ、その時はびっくりし、しどろもどろに対応して終わりました。
ただ、高市早苗さんは弟・事務機器を引き取ってもらい、次は自分を引き取ってもらえるのかと思うとおかしくなるも、プロポーズをされる事は長い間なかったので、かなり嬉しかったそうです。
高市早苗さんは政治家の山本拓さんの一面しか知らないので、不安はあるも
前向きに結婚を望んで入るタイミングでこんなお話をいただいたのも、貴重なご縁かな
と思い、1週間後にOKの電話をしました。
その後、山本拓さんの地元の福井で水害があり凄い被害が発生し、その対応で多忙になり、高市早苗さんも大学の仕事や選挙の応援活動で多忙になり、話はそのままになっていましたが、9月になり少し落ち着いたタイミングで電話とメールで入籍に向けた段取りを進めました。
そして、9月22日に夫から婚姻届の受領証を貰い、「山本早苗」に変わった事を実感し、嬉しい事も書かれています。
ただ、お互いに職場の影響で数年間は別居婚になるも、休日はできるだけ福井に行って、家事や仕事の手伝いなどをして行きたい事も書かれています。
とは言え入籍をした事で、遠くからでも家族として見守ってくれる人ができた事の安心感ができ、精神的に楽になったそうですよ。
お酒の勢いでプロポーズをされた
2007年の「みわちゃんねる」でも高市早苗さんは結婚について語っています。
とかなり嬉しそうに話されています。
この時に、結婚の経緯について
6月にいきなり酒の勢いで電話でプロポーズをされました。
山本拓さんは福井でお酒を飲んでたみたいですね。
山本拓さんははずっとバツイチで独身だったので、次の選挙までには身を固めたいと言うような話でだそうです。
さらに、「(山本拓さんは)調理師免許を持ってるから料理作ります」と言うのが決め台詞となりました。
「夏の間にでも入籍か結婚はしたいね」と話してたそうです。
この時に高市早苗さんは
と言うコメントもされています。
結婚の話は6分8秒頃から話されています。
かなり嬉しそうな感じが伝わって来ますよね。
高市早苗の結婚式でのエピソードまとめ
高市早苗さんは、2004年12月3日のコラムにて、先週末に結婚披露宴をした事を報告されています。
元々、旦那の山本拓さんは再婚で結婚披露宴や新婚旅行などに全く興味がありませんでしたが、初婚の高市早苗さんは花嫁衣装にかなり憧れがあり
と旦那さんを押し切る形で結婚披露宴をされたそうです。
ちなみに、この披露宴には小泉純一郎さんも出席し、祝辞を述べています。
ウエディングドレスは桂由美が作る
2024年5月1日に高市早苗さんはXにて、亡くなった桂由美さんを追悼されています。
桂さんは山本拓さんとは元々親しい間柄だったので、桂さんの方から「高市早苗さんのウエディングドレスを作らせて」と言う提案をされたそうです。
高市早苗さんは由美ラインを台無しにしない為、結婚披露宴まで腹筋運動を頑張られました。
桂さんと高市早苗さんは、披露宴が終わった後も仲良くしてたそうですよ。
こちらが、高市早苗さんのウエディングドレス姿です。
ちなみに、こちらが高市早苗さんの桂由美さんの追悼文です。
桂由美先生の御逝去を悼みます。
偉大なご功績に敬意を表し、深い感謝の気持ちとともに、ご冥福をお祈り申し上げています。
私は結婚が43歳と遅かった上、主人は再婚でしたから「披露宴はしなくてもいいだろう」と言ったのですが、「私は初婚やで。どうしても一生に一度はウェディングドレスを着てみたい!」と押し切って結婚披露宴を断行。
そんな中、主人と親しかった桂由美先生から「私にウェディングドレスを作らせて」という夢のようなお話が…。
「由美ライン」を台無しにしないよう披露宴前日まで腹筋運動に励みましたが、改めて写真を見ると腕もウエストも太過ぎて、桂由美先生には申し訳ない限りでした。
以降、ご多用の中でも私の国政報告会に駆け付けて下さるなど、桂由美先生は、人との縁を大切にされて長く深く交際して下さる方でした。
数々の困難を乗り越えて日本にドレス文化を普及させ、世界的に活躍する女性として、後に続く多くの女性達の道を拓いて下さった桂由美先生。有難うございました!
披露宴の準備がかなり大変だった
披露宴会場を9月末に予約するも、当時山本拓さんは衆議院議員だったや高市早苗さんも政治活動を長年やって来たので、色々大変な事がありました。
招待状を出す相手を決める際に、高市早苗さんは最初はかなり楽しかったそうですが、政治関係の人達の時にはかなり悩んだそうです。
夫の上司は、警護対象者が含まれるので、警察との入念に打ち合わせやSPの立ち位置や誘導経路や来客に金属探知機を通らせるのか?などの懸案事項が出て来たそうです。
ちなみに、2人の披露宴の招待状を受け取り、「政治資金集めでは?」と陰で言ってた人もいたとか。
ところが、夫の上司となると、警護対象者が含まれてきます。警察との打ち合わせも入念に行わなければなりません。SPさんの立ち位置や誘導経路、お客様に金属探知機を通っていただくのかどうかといった懸案事項が出てきました。
私の方も、政治活動でお世話になった地方政界の方々や後援会の役員さんに披露宴のご案内を差し上げてよいものかどうか、悩みに悩みました。政治活動と関係のない私的な行事に招かれては迷惑だと思う方も居られるでしょうし、反対に「何故、俺に招待が無いのだ。水臭い」と怒り出す方も居られるはず。悩み抜いた挙句に、失礼にならぬ範囲で招待状をお送りしたつもりでした。
ところが、披露宴の招待状を受け取って「政治資金集めだろう」と陰口を叩いておられる方が居ると聞いて大ショック(実際には披露宴で黒字になるはずもないのですが・・)。一方で、「俺は招待されなかった」と怒っておられる方も多数居て、実に悩ましいものでした。
そして、一番大変だったのは、政治関連行事は出欠葉書を出さなくて、突然来た場合でも対応する場合が多く同じノリで、出欠葉書を出してくれない人が多くて、披露宴の出席者数が全く分からなかった事となります。
なので、立食パーティーに変えて、引き出物も予備を用意する事で対応しました。
高市早苗さんは夫と2人で楽しい披露宴の準備が出来ると想像していましたが、夫は様々な懸案事項で多忙な為に相談できなくて、準備のストレスはかなり凄かったそうです。
さらに、夫は高市早苗さんの不機嫌な理由が分からず
少しダイエットしないとウエディング・ドレスが破けるぞお
と電話で笑ってて、イライラしてたそうです。
高市早苗さんも2日後が著書の原稿締切日で直前2週間は徹夜に近い状態が続いたので、肌あられがひどく、目の下にクマがある状態で披露宴本番を迎えました。
披露宴当時は?
そんな感じで披露宴の準備にかなり苦労されましたが、当日には久々に高校の先生達や高校・大学の同級生などに会え
早苗、年の割には綺麗やでえ
ダンナさん優しそうな人で良かったなあ
おっさんやけど結構カッコいいで
などと言って貰い、嬉しくなり、前日までの憂鬱さは消えてなくなりました。
ただ、披露宴終了後には、夫は政治活動の為に地元の福井にすぐに帰ってしまい、高市早苗さん一人で奈良県の実家に帰り、両親に説教されながら、夕食を食べたそうです。
料理は夫の担当だった
2007年3月23日の高市早苗さんのコラムにて、結婚した事で食生活が大幅に改善した事が書かれています。
山本拓さんは調理師免許を持ってて、政治家になる前は飲食店を経営し、自身も厨房に立ってたので、食材選び・保存、調理までは夫が行い、皿洗いを高市早苗さんが担当してる事が書かれています。
山本拓さんは、冷蔵庫の残り物だけで数品作ってしまう程のレベルなので、高市早苗さんは太刀打ちができません。
さらに、山本拓さんは
台所は僕の城なので、入らないでね
と言い、仕事で疲れて帰って来ても、かなり嬉しそうに料理を作ってくれるので、高市早苗さんはかなり有難いそうです。
高市早苗の離婚理由は政治的スタンスの違い
高市早苗さんと山本拓さんは、2017年7月19日に離婚をされています。
こちら、2人で連名で発表されたコメントです。
離婚理由はお互いの政治的スタンスの違いとの事です。
私生活面では円満に楽しく過ごしてまいりましたが、互いの政治的スタンスの違いが大きく、それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至りました
引用:テレ朝 news
さらに、2021年9月6日のデイリー新潮の記事にて、高市早苗さんが
主人の我慢の風船が破裂したのでしょう……。とにかく私が至らなくて、鈍感だったということです
と離婚理由について語れています。
キャリアの大きな差
さらに、同記事では、2人が離婚に至った経緯が掛かれています。
高市早苗さんは2005年に政界復帰をしますが、その後は内閣府特命担当相・自民党政調会長・総務相などを歴任し、農水副大臣を歴任した山本拓さんとはキャリアで大きな差が出てしまいました。
その為に、山本拓さんは
嫁が大臣だから自分はなれない
嫁さんが主で俺が従だからつらいよね
と言ってた事があるそうです。
2人で生活してる議員宿舎で夕食終わりに、山本拓さんがテレビを見てて、その横で高市早苗さんが洗濯機を回したり、アイロンをかけてる時に、突然に山本拓さんから離婚を切り出されました。
自民党が都議選に負けて、党内で色々な意見が出てた頃ですが、高市早苗さんが3年程閣内にいるので、山本拓さんは「勉強会の立ち上げを我慢し、政策を考えても言えない」と言いたい事も言えない状態で我慢をして来ました。
山本拓さんはずっと我慢をしてきたそうで、貯めて来た不満を一気に話されたそうです。
そして、高市早苗さんは
夫婦じゃなくなったら、あなたはもっと楽になれるんだよね
とコメントし、そのまま離婚届に判を押しました。
ちなみに、2012年の総裁選時には、高市早苗さんが安倍晋三さんを山本拓さんは石破茂さんを応援したので、家の中でも相手に情報が漏れない様に注意してて、山本拓さんに携帯を見られない様に風呂場まで持って行くなど当時は夫婦の会話はほぼありませんでした。
そんな高市早苗さんですが、2016年11月に山本拓さんの母親が亡くなり、2017年5月に納骨式があり、その時には
あぁ、私もこのお墓に入るんだな
としみじみ思ってた2か月には離婚を切り出されてるので、かなりショックだったでしょうね。
最後に高市早苗さんは
離婚の原因は、主人に嫌な思いをさせていた私にある。なんだか未練がましいですが、今はとても残念な思いでいっぱいです
とコメントされていました。
離婚後も関係は良好
ただ、離婚後も2人の関係は良好でした。
2021年9月の総裁選では山本拓さんは高市早苗さんをいち早く支持する事を所属する二会派のトップの二階俊博さんに言い、支援をしていました。
さらに、2021年12月17日のフライデーでは
- 離婚後も2人で食事に行く
- 高市早苗さんが山本拓さんの地元の福井に行った時には、山本家の墓参りをする
- 2021年10月に山本拓さんは比例区の北陸信越ブロックから出馬するも自身の選挙活動はほぼ行わずに、自身の秘書を高市早苗さんの選挙を手伝わせた
と言う事も書かれていました。
2021年9月27日のzakzakの記事にて、山本拓さんがインタビューで結婚当時から自分の両親を大事にしてくれて、離婚後も山本拓さんの地元の福井に行けば、必ず墓参りをしてくれる事を話されています。
結婚当時から、高市さんは私の両親を大事にしてくれた。いまでも私の地元・福井県に立ち寄れば、お墓参りに必ず来てくれる。本当に律儀だ
以上が、高市早苗さんに関する記事ですね。
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