石破茂さんには兄弟が姉2人います。
姉は上が1940年生まれで下が1941年生まれとなり、2人とも教師をしています。
そんな石破茂さんは小さい頃に大学生だった姉に宿題の内容を怒られた事があるそうです。
当記事では、そんな石破茂さんの兄弟について書きました。
娘さんについてはこちらで書きました。
妻の佳子さんについてはこちらです。
石破茂の兄弟は姉が2人!
引用:福島民友
2024年9月9日のPRESIDENT Onlineにて
石破茂さんには、姉が2人います。
- 上が1940年生まれ、下が1941年生まれ
- 2人の姉とも母親の意向で中学から私立の女子学院に進学し、東京女子大学を卒業後に上が国語の先生・下が英語の先生になる
姉の2人の年齢は84歳・83歳前後となり、石破茂さんと下の姉とは16歳年の差があります。
上の姉が1940年、下の姉が41年生まれですから、私と下の姉でも16歳の差がありました。
姉との年の差が大きい理由について
父が亡くなった時に母に聞いたら、当時の役人は給料が低くて、娘二人を私立に行かせると、なかなか3人目を作る余裕がなかった、と言っていました。
姉2人が出てる東京女子大学ですが、2017年9月8日の週刊ダイヤモンドの記事にて
1992年の頃の偏差値は文理・現代教養で70となり
河合塾の偏差値は65と、昔は「女の東大」と呼ばれた津田塾と同じ偏差値となり、昔はかなり頭がいい大学だった事が分かります。
なので、姉2人が卒業した時の東京女子大学はかなり頭が良かったのではないでしょうか。
姉2人が所属してた頃の東京女子大学は、入学時には文学部(哲学科、国文学科、英文学科、社会科学科、心理学科)があり、在籍中に文学部が文理学部になり、哲学科・日本文学科・英米文学科・史学科・社会学科・心理学科・数理学科があったと言う感じになる可能性があります。
1948年 – 新制東京女子大学発足、文学部(哲学科、国文学科、英文学科)を設置
1950年 – 文学部に社会科学科を増設。短期大学部(英語科、国語科、数理科、体育科)を併置
1954年 – 文学部に心理学科を増設。短期大学部の数理科を2年制から3年制へ変更。比較文化研究所を設立
1961年 – 文学部を改組し文理学部(哲学科、日本文学科、英米文学科、史学科、社会学科、心理学科、数理学科)を設置。短期大学部の国語科、数理科、体育科を募集停止引用:ウィキペディア
一人暮らし時は姉が面倒を見てくれた
石破茂さんは15歳の時に慶應義塾高校に進学し、一人暮らしを始めました。
その時には、上の姉が住んでた家の近くにアパートを借り、食事その他の面倒は姉が見てくれていました。
ちなみに、PRESIDENT Onlineの記事では、上の姉が国語の先生・下の姉が英語の先生となっていますが
上の姉は国語、下の姉は英語の教師になりました。母も国語の教師だったので、教師一家ともいえます。
引用:PRESIDENT Online
2014年8月8日の石破茂さんのブログにて、上の姉が英語の先生・下の姉が歴史の先生となっています。
ちなみに我が家の女性たちは皆教員資格を持っており、実際母は国語、上の姉は英語、下の姉は歴史の教師でした
なので、上の姉が国語と英語の先生・下の姉が英語と歴史の先生なのかも?しれませんね。
小さい時に姉に怒られる
2014年8月8日のブログにて、石破茂さんの小さい頃の夏休みの宿題について書かれてて、その際に自分が書いた読書感想文を休みで帰省してた大学生の姉に
こんなものは読書感想文ではない
と怒られ、泣きそうになったそうです。
小池百合子を「姉さん」と呼ぶ
石破茂さんと小池百合子さんとの関係については、2024年6月29日のFLASHの記事にて
石破茂さんは2010年の同記事で小池百合子さんと対談をしていますが、その際に「姉さん」と呼んでいました。
ちなみに、その時の写真は
石破茂さんは小池百合子さんを「姉さん」と呼ぶ理由は
- 政治家として歴は石破茂さんの方が長いけど、小池百合子さんの方が年齢が4歳年上の為
- 2人は1994年に結成の新進党に入り、その後に石破茂さんは自民党に復党し、小池百合子さんは自由党・保守党などを経て自民党に復党すると言う同じ様な道を歩んでて、親交が続いてるから
その為に互いに政治家として認め合っています。
2016年に小池百合子さんが希望の党を結成した時には記者団に対し、石茂茂さんは
(小池氏を)なめたらたいへんなことになる。怖いとか、そういうもんじゃない。小池百合子という人をあなどったら、たいへんな目に遭うということは言っておく
小池さんは自民党の同志でやってきた。思いは共通する部分はあるだろうと思っている
と話されていました。
以上が、石破茂さんの兄弟に関する記事ですね。
コメント