石破茂さんと妻の佳子さんは、慶應義塾大学の法学部の同級生となります。
石破茂さんは、入学してすぐの頃に図書館から本を小脇に抱えて階段を降りてる姿を見て、あまりの可愛さのあまり感動をしてしまいました。
その後、距離を縮めるきっかけを考えて、大学の試験に関する山掛け講座を開催し、話したり遊びに行くようになるも、付き合うまでには至りませんでした。
そして、大学卒業時に石破茂さんは佳子さんに告白をするも、あっさりフラれてしまいます。
その後は音信不通になり、石破茂さんの父親が亡くなり、佳子さんが電報を送った事がきっかけで、交流を再開し、付き合い始めました。
結婚前に石破茂さんが政治の道に進む事が決まり、妻の佳子さんは結婚するかどうか迷うも、父親に背中を押され結婚を決めます。
当記事では、石破茂さんと妻の佳子さんとの結婚までの馴れ初めについて書きました。
妻の佳子さんの家系図や実家についてはこちらです。
妻の佳子さんの情報やエピソードはこちらでまとめました。
森山裕さんの妻や娘さんについてはこちらです。
石破茂の嫁(妻)は佳子の画像まとめ
石破茂さんの妻の佳子さんの画像ですが
大学時代
1983年結婚時
1986年石破茂さんが衆議院初当選時
2012年12月時
2018年9月
2024年9月
妻の石破佳子さんは若い頃から現在に掛けて非常に綺麗な人である事が分かりますね。
石橋茂と妻の佳子との馴れ初めは?
そんな石破茂さんと妻の佳子さんとの馴れ初めですが、2018年9月5日の女性自身のインタビューにて、妻の佳子さんは
本当は“忘れました”と言いたいんですけど、しっかり覚えています(笑)。私と夫は大学の同級生で、出会いは校内でした
とコメントされています。
では、そんな石破茂さんと妻の佳子さんとの馴れ初めについて見て行きましょう。
慶應大学の同級生
妻の石破佳子さんは1975年に慶應義塾大学 法学部法律学科に入学しています。
入学したての頃に妻の佳子さんはD組で石破茂さんはF組で2人とも第二外国語にドイツ語を選択し、一緒の授業を受けた事で出会います。
さらに、2人は共通の授業もかなり多かったそうです。
とは言え、この時に2人は会話はしませんでした。
石破茂さんは大学1年の4月頃の土曜日の夕方に授業を受ける為に、日吉から三田キャンパスに行き、授業が終わって教室から出た時に、佳子さんが図書館から本を小脇に抱え階段を降りてくる姿を見て
と一目惚れしていました。
石破茂さんにとってこの光景は感動に近く、一生忘れないものだそうです。
山掛け講座で話す
その後、大学2年の後期試験前に、石破茂さんは当時学期末試験対策の勉強会サークル「石破の山掛け」をやってて、友達に誘われて佳子さんは友人と一緒に参加します。
この山掛け講座は、田舎の男子校出身の石破茂さんは妻の佳子さんとどの様に距離を縮めたらいいか分からず、勉強でアピールをし、気を引きたい一心で行ってたものだそうです。
石破茂さんは刑法が好きで自信があったので、試験問題を予想し、答えをアンチョコの様な紙を作り、希望する人に配っていました。
石橋茂さんは佳子さんは貰ってくれないかなと思ってたけど、貰ってくれたそうで、石破茂さんの予想通りの問題が出て、その答えを書いた人は全員A評価となりました。
そこで石破茂さんはその時に初めて2人は話すも、石破茂さんの第一印象は良くありませんでした。
当時について妻の佳子さんは
“キミは女子学院出身でしょ? うちの姉もあの学校出身だからね~”と、何か意味ありげなしゃべり方をされたので、あまり第一印象がよくなかったことを覚えています(笑)
石破茂さんは姉と佳子さんの出身校が一緒である事を知り、それをきっかけにしようとずっと考えていました。
ちなみに、2人が所属してた学部は女子が少なく、語学クラスでは4人でした。
妻の佳子さんはその中の人と仲良しで、その人は石破茂さんと同じサークルでした。
その後も付き合うに至らず
とは言え、この事で2人は段々と会話をし始めて、学校帰りにお茶や週末にドライブに行く程仲良くなりました。
ただ、この時には石破茂さんはアプローチをしていましたが、友人として付かず離れずの関係で付き合うまでは行きませんでした。
この頃について石破茂さんは
試行錯誤を繰り返したのですがたいして仲良くなれず、いよいよもう卒業というところまで来てしまいました。
引用:現代ビジネス
当時の石破茂さんについて妻の佳子さんは他の男子とは違い常にシャツにネクタイ・ジャケットを着てて、真面目そうな人と思ってたそうです。
さらに、石破茂さんは勉強会で全員分のドーナツを用意するなどみんなに親切な人なので人気者でした。
夫は他の男子生徒とは一風違う雰囲気がありました。当時、ジーンズや『アイビールック』ファッションが流行っていたのですが、彼はいつもきちんとシャツにネクタイ、ジャケットを着ていて、真面目そうなかただと思いました。
よく覚えているのが、勉強会でわざわざみんなの分のドーナツを用意していたこと。男女問わず親切でしたから、人気者だったようですよ
引用:NEWSポストセブン
当時の石破茂さんの印象について、妻の佳子さんは
友達のサークルにいる話をする男性の一人
引用:週刊現代
と話されています。
大学卒業当日にプロポーズをするもフラれる
1979年3月の大学の卒業当日の謝恩会で石破茂さんは満を持して「結婚を前提に付き合ってください」と告白するも、妻の佳子さんからはフラれてしまいます。
その理由は
元々、石破茂さんの夢は学者か弁護士で、当時は銀行への就職が決まってて、告白時に「学者や弁護士を目指してたけど、君との結婚の為に安定した道を選ぶよ」と言いたそうな雰囲気を感じ
当時は女性が社会に出るのは大変で、就職は一般職しかなく、男性はどんな事にも挑戦ができて羨ましく、「結婚する為に、夢を諦めるのは、やめてほしい」という気持ちで断っています。
当時、夫は司法試験を受けて弁護士になりたいなど、夢をいっぱい語っていました。それが私と結婚したいから夢を諦めて就職するというのは違うんじゃない? という話をしましたね
引用:女性自身
フラれた時の言葉について、石破茂さんは2020年11月10日のたかまつななさんのYoutubeチャンネルにて
あなたは弁護士になるとか言って法律学科に入ったんでしょ。
なんかとても無理そうだからっていうんで、今後は大学に残るとか言って、「1期上で天才がいるから自分は慶應に残れない」とか言って辞めたんでしょ。
私と結婚したいから安定した職場がいいとか言って、三井銀行にしたんですよね。
そういう風に人生の目標がコロコロ変わる人は私は嫌いです。
石橋茂さんが三井銀行での就職を選んだのは、佳子さんとの結婚を夢に描いたからと言う部分もあります。
「安定した就職先なので、OKを貰えるのでは」との考えがありました。
ただ、プロポーズをあっさりと断られたので、生きる希望を失ってたそうです。
それと同時に、「私はなんの為に三井銀行なんて入るんだろうな」とも思っていました。
父親・石破二朗が亡くなった事により再開
その後、2人は音信不通になりますが、約3年後の1981年9月に石破茂さんの父親・二朗さんが亡くなった事を、佳子さんの母親が新聞で知り教えてくれました。
そして、友達と連名で香典を送った事で、石破茂さんは佳子さんに「電報くれてありがとう」とお礼の電話をした事で、再び交流を始めます。
交際を始めたきっかけについて妻の佳子さんは
駆け出しの銀行員だった彼は、『定期預金口座の新規開設』の営業ノルマがあったようなんです。それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑い)。でも、学生時代から頼りになる人だったので、そうして会って仕事の悩みを話すうちに、打ち解けていきました
引用:NEWSポストセブン
その後2人は、互いの勤務地が東京・日本橋と竹橋で近い事が分かり、会社の近くで一緒にランチやデートをする様になります。
ちなみに、佳子さんは石破茂さんと再開前に両親に勧められ見合いを3度してて、2人で食事をした時にお見合い相手の話もしてたそうですよ。
そんな石破茂さんですが
- 常に自転車を飛ばして佳子さんに会いに来る
- ドライブデートの前の晩に佳子さんの好きな歌が海を走ってる際に流れる様に時間を計算しテープを編集する
など当時から佳子さんにかなりぞっこんでした。
結婚の決め手になった約束とは?
2024年10月1日のFNNプライムオンラインの記事にて、結婚の決め手となった会話が紹介されています。
結婚は佳子の父親が背中を押す
交際時には石破茂さんは政治家になるつもりは全くありませんでしたが、ある日田中角栄さんに会い、政治の道に進む事になり、1983年3月に石破茂さんは銀行を辞めて政治家予備軍として木曜クラブの事務所に入ります。
すぐに石破茂さんから電話で「突然の事なので、結婚をやめたければやめてくれてもいいよ」と言われ、凄く悩んでた佳子さんは父親に相談すると
と言われた事で、石破茂さんとの結婚を決めました。
「青天の霹靂でした。新聞に選挙の候補者として夫の名前が挙がり、銀行を辞めることになったんです。すぐに夫から説明の電話がありました。『そういうことになったけど、突然のことだし、結婚の話はやめたければやめてくれてもいいよ』と言われ…。政治のことはまるで知らなかったので、本当に悩みました」
結婚すべきか、やめるべきか。悩む佳子さんに父親がこうアドバイスしたという。
「君は、結婚相手を『職業』で選ぶのか、『人物』で選ぶのか」
その一言で、佳子さんの気持ちは決まった。
引用:NEWSポストセブン
この時について石破茂さんは
嬉しかったのは、私が政治家になると言っても、約束違反だのなんだのと言わずに妻が許してくれたことでした。
引用:現代ビジネス
2024年10月1日のFNNプライムオンラインの記事では、反対しなかった理由について
それでは、政治家になるときに、人生が変わるということで、妻・佳子さんが反対することはなかったのだろうか?
ジャーナリスト 鈴木哲夫さん:人生変わるけれども、『じゃあ政治家を本当に、最後までやりきる』とか、『きちんとそこをちゃんとやるんであれば』(反対しない)ってことですよね。
結婚式には田中角栄も出席
1983年9月22日に結婚し、東京・赤坂のホテルニューオータニで結婚式を行います。
式に出席した田中角栄さんは当時佳子さんが勤めてた会社が絡んだロッキード事件で窮地に立ってて、田中角栄さんは「いい会社だよ。わしのことがなければ、もっといい会社だ」とスピーチーをし、盛り上げました。
妻の佳子が石破茂に惹かれた理由は?
石破茂さんのどの部分に惹かれたのかについて、妻の佳子さんは以下の様なコメントをされています。
石破茂さんの学生時代から変わらない純粋な少年の様な部分に惹かれたそうです。
「いまさら、彼のどこがかわいいのかなんて、わからないんですが(笑)、考えたのは、こどものころ好きだったものが今でも好きなところですかね。ハンバーグ、ポテトコロッケ、とんかつ…カレーライスもありますね。
すごく少年みたいな、純粋さがあるところですかね。当然、年月を経て変わってきているところもありますが、基本的には大学時代と変わらないですよ。そうした少年らしい一面、というのは私たちにしか見せないかもしれません。
それにアイドルの話や鉄道の話をするときも、本当に楽しそうに語るんです。『好きなんだな』という顔をしていますね」
引用:週刊現代
以上が、石破茂さんと妻の佳子さんとの馴れ初めに関する記事でした。
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