常廣羽也斗さんの父親は竜也さんです。
父親は、高校の途中まで野球部に所属し、右投手だったそうで、現在の常廣羽也斗さんの投球フォームの原点を作り上げた人です。
さらに、アーキテック・一級建築士事務所の社長です。
この会社は、父親が一級建築士を取った後に、独立して作った会社です。
さらに、祖父も建築士で、自身で建築士事務所を設立されてる凄い方です。
そんな父親の竜也さんですが、1974年5月10日大阪府吹田市生まれで、大分市で育ちました。
そして、1993年3月に大分県立大分工業高校 建築科を卒業されています。
当記事では、常廣羽也斗さんの父親の竜也について書きました。
常廣羽也斗の父親・竜也はアーキテック・一級建築士事務所社長!
引用:日刊スポーツ
そして、常廣羽也斗さんの父親は竜也さんです。
そして、父親の竜也さんはアーキテック・一級建築士事務所の社長をされています。
こちらが、父親の竜也さんの画像です。
引用:facebook
髭が似合うイケメンですね。
父親が経営する事務所は、大分市花園一丁目13番5号にあります。
そして、この会社は「公益社団法人 日本建築家協会九州支部大分地域会」によりますと、従業員数は3人となっています。
父親・竜也の経歴&学歴まとめ
では、常廣羽也斗さんの父親の竜也さんのプロフィールや経歴・学歴ですが
プロフィール
- 読み方:常廣竜也(つねひろたつや)
- 生年月日:1974年5月10日大阪府吹田市生まれ
- 年齢:49歳
- 血液型:O
経歴・学歴
- 大分市で育つ
- 1993年3月、大分県立大分工業高校 建築科 卒業
- 1993年4月、株式会社九建設計 入社
- 1級建築士に合格したのをきっかけで独立
- 2003年4月、アーキテック・一級建築士事務所設立
受賞歴
- 2005年11月、第20回 豊の国木造建築賞 大分県住宅供給公社賞
- 2007年11月、第22回 豊の国木造建築賞 大分県建築設計事務所協会賞
- 2008年11月、第23回 豊の国木造建築賞 大分県地域づくり機構/大分県住宅供給公社賞
- 2011年11月、第26回 豊の国木造建築賞 優秀賞
- 2012年11月、第27回 豊の国木造建築賞 優秀賞
父親は独立した時は、常廣羽也斗さんは1・2歳くらいでした。
なので、父親はかなり不安だったそうです。
元々、父親は大きな建物を作っていましたが、自身が目が届く範囲での建築を行いたいと現在は住宅の設計が8割となっています。
父親が嬉しい瞬間は、建築が出来た時・お客さんが喜んでくれた時・数年後にキチンと自分の建築を使ってくれてるのを見た時だそうです。
父親は常に建築の事について考えていますが、昔から絵を描いたり、物を作ったりするのが好きな人なので、建築士と言う仕事にはやりがいを感じています。
正直、365日仕事です(笑)。曜日感覚も時間の感覚もあまりありません。例えば、iPadに絵を描いて、それが(建築の)仕事になることもあります。プランをつくったり、外観を考えたりして、それを入力してパソコンの中でつくりあげる。ふと何か降りてくる瞬間もありますし、いつも何か考えていたりします。でも、昔から絵を描くことや、ものづくりが好きだったので、建築士は好きな仕事です
引用:日刊ゲンダイ
さらに、「おおいたの建築家の本 Vol.2」「おおいたの住まい情報誌2008 WISE」と言った雑誌に記載されています。
九建設計に勤務時は、最初は役所工事を主に行い、その後は防衛庁や文部科学省からの依頼で全国の自衛隊や米軍基地内の建物を作っていました。
この方の作風は
行き止まりのない動線をつくり、部屋同士の関係性を見直して、空間が一体的に使えるような工夫をします。構造の種類に関わらず、骨組をきれいにつくりそれをデザインのポイントとして見せることが多いです。
引用:建てようネット[大分]
父親の竜也さんはかなり凄い建築士である事が分かりますね。
そして、父親の竜也さんの出身校の大分工業高校は
- 2023年時点の偏差値は48
- プロ野球選手の内川聖一さん・田中太一さん・姫野好治さんが出身
- 甲子園は夏の1948年・1993年・2010年に出場し、甲子園では未勝利
と言った感じの高校となります。
インスタで青学野球部を応援!
では、父親の竜也さんは、自身のインスタにて青山学院大学野球部を応援する投稿を度々されています。
そして、こちらの投稿にて
青学にいる選手は息子さんですか?と言うコメントに対し
と言うコメントを返されていました。
そして、2024年2月10日には広島カープの日南キャンプに観に行った事を投稿されています。
そして、ストーリーでは常廣羽也斗さんの応援をお願いされていました。
常廣羽也斗の祖父も建築士!
さらに、父親の竜也さんが2016年5月17日のインタビューに、自身の父親について語られてて
- 独立後にずっと建物の構造計算の仕事を行う父親の姿を幼少期からずっと見てた
- 父親の影響で、「将来は建築士として独立する」と思ってた
- 父親は骨組みを考える人で、常廣竜也さんは意匠的なデザインをする人
と言っています。
なので、常廣羽也斗さんの祖父も建築士で自身で会社を設立されてる事になりますね。
独立してからずっと建物の構造計算という仕事をしていた父親の姿を幼い頃から見ていたので、漠然と、「僕も将来は独立するんだろうな」と考えていました。学校を卒業して設計事務所に入る時に、父親と同じ構造計算の仕事がしたいと考えていたのですが、「建築といっても構造計算だけじゃなくて、デザインや電気、設備とか色んな部門がある。とりあえずデザインの方へいって視野を広げなさい」と社長に言われて。父親は骨組みを考える人、僕は意匠的なデザインする人、と分かれたところが社長の意向でした。やっていくと、色んな物が見えて来てすごく面白かったです。
引用:COMMON hair design
常廣羽也斗の父親は竜也で元野球部投手!フォームの原点を作った!
引用:4years.
父親は、高校の途中まで野球部に所属し、常廣羽也斗さんとはよくキャッチボールをされていました。
そして、2023年のドラフト1位候補まで成長した常廣羽也斗さんに対し「努力でよくここまでなった」と感動されています。
≪父・竜也さん観戦≫完封した常広の父・竜也さん(49)は大分から駆けつけ、三塁側内野席で息子の活躍を目に焼き付けた。自身も高校途中まで野球部に所属しており「よくキャッチボールをしていたが、今はもう手が痛くて捕れない」と笑顔。幼い頃は恥ずかしがり屋で人前に出ることも苦手だった息子がドラフト1位候補にまで成長し「努力でよくここまでになった。まずはお疲れと言いたいですね」とねぎらった。
さらに、常廣羽也斗さんの現在のフォームの原点は
となります。
常廣羽也斗の為に自宅にブルペンを作った
さらに、父親の竜也さんは自宅も設計されています。
そして、庭に18.44mある空間があり、常廣羽也斗さんが小4の時にブルペンを作ってあげています。
なので、常廣羽也斗さんは勉強の合間に投げに行ってました。
父親は常廣羽也斗さんについて、理数系の科目で仕組みが分かると解ける人だったので、「いいものを持ってて、いい指導者に合い、投球の仕組みが分かれば、凄いスピードで進化していくんだろうな」と思ってたそうです。
小学生の時、『投げ方が分からない』といって泣いていたことがあります。きっと自分の解釈とイメージに相違があって、それをどうしていいのか分からないのが嫌だったのだろうと。羽也斗は昔から数学などが好きだったのですが、理数系の科目は仕組みや道理が分かると解ける。そういうのが好きだったのだと思いますし、僕もこの子は何かいいものを持っているんだろうと思っていました。いい指導者に出会い、メカニズムとか仕組みが分かれば、どんどん進化していくのだろうなと
引用:日刊ゲンダイ
文武両道の教育方針
父親など両親は、常廣羽也斗さんに大学に行って欲しかったので、塾に通うなど中学時代まで文武両道で進学校の大分舞鶴高校に進学されています。
常廣羽也斗さんも小学校の頃から算数好きで、勉強も嫌いではなく、勉強の後に素振りや投球練習をされていました。
広島カープの立食パーティに出席
2023年12月13日の広島カープの新入団選手の記者会見の後に、立食パーティーに常廣羽也斗さんと父親が出席されています。
引用:TBS NEWS DIG
そして、以下が父親の竜也さんのインタビューです。
常廣羽也斗 投手の父 竜也 さん
― お父さまにとってもすばらしい1日だと思います。おめでとうございます。息子さんの晴れ姿はいかがでした?
「やっぱり、さらのユニホームを着ている姿を見て、親として、こんなところまで来たんだなあというのが、まだスタートラインなんですけれども、まずはここまで来たことに感謝と、すごいなという素直な思いと混じっていますね。真面目なところは(自身と)似ていると思います」― プロの世界でどう羽ばたいてほしいですか?
「羽也斗という名前をつけたのも、羽ばたけるようにという意味を込めて羽という文字を付けましたので、いろんな先輩たち・ライバルたちと切磋琢磨しながら、いろんなことを吸収しながらがんばってほしいと思います」
以上が、常廣羽也斗さんの父親の竜也さんに関する記事ですね。
下村海翔さんの父親や兄弟の情報やエピソードはこちらです。
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