鳥羽博道さんには息子さんが2人います。
長男の豊さんと次男の伸博さんです。
長男さんは、2005年からドトールの社長に就任をされています。
そして、2020年からレーシングドライバーとして活動もされています。
次男さんは、2014年に銀座にトリバコーヒーをオープンされています。
そして、2023年に京都に移住し、同年2月からトリバコーヒーの京都店をオープンされています。
さらに、DJとしても活動をされています。
当記事では、そんな息子さんについて書きました。
鳥羽博道の息子は2人!
鳥羽博道さんの息子は長男の豊(ゆたか)さんと次男の伸博(のぶひろ)さんです。
長男:鳥羽豊
二男:鳥羽伸博引用:閨閥学
[the_ad id=”884″]
子育て法は?
鳥羽博道さんは父親から「勉強しろ」と言われた事はありませんが、実家には書庫があり、本が大量にあったので、それを見る事で父親の勤勉さを感じ育ちました。
なので、鳥羽博道さんも子供さん達の為に、本を全て残しています。
そして、自身の子育て法については
子供たちには、「こうしなさい」と押し付けるのではなく、ごく自然に様々なことを感じて生きていって欲しいと思います。
引用:甦れ日本人の会
だそうです。
ちなみに、息子さんには「乙女だ」と言われてるそうです。
鳥羽 確かに息子にも「うちの親父は乙女おとめだ」って言われます(笑)。
引用:致知
嫁(妻)は普通の人
次男さんがThe New York Times Style Magazine:Japanにて、母親について話されています。
その中で
母はなんだか地味な人で、とりたたて贅沢をするわけでもなく、普段の食事もいたって普通でした。
とコメントされています。
鳥羽博道さんのお嫁さんは派手な方ではなく、キチンとした金銭感覚を持ってる方なんでしょうね。
[the_ad id=”884″]
長男(息子)の豊の情報やエピソードは?
引用:GAZOO
まずは、長男の豊さんの経歴ですが
- 1964年3月26日 東京都世田谷生まれ
- 1988年に駒澤大学経営学部卒
ドトール入社後は
- 1999年 取締役DCS統括本部長
- 2000年 常務取締役事業統括本部長
- 2004年 専務取締役営業統括本部長
- 2005年 代表取締役社長
- 2007年~2008年 ドトール・日レスホールディングスの初代代表取締役社長
長男さんは20代前半からバイク好きでよく走っていましたが、モナコで観たF1に感銘し、自身もクラシックF1に出場する夢を持ち、2020年からレーシングドライバーとして活動を始めています。
所属は、HELMMOTORSPORTSとなります。
では、続いて、長男さんのエピソードを見て行きましょう。
元々ドトールに入社するつもりはなかった
倒産の危機感を持ちながら頑張る父親を見てたので、長男さんはドトールに入社するつもりはありませんでした。
英国留学後に長男さんは貿易会社に就職を望み、鳥羽博道さんはドトール入社を望みました。
そして、長男さんが23歳の時に、「100万円やるから出て行け、二度と家の敷居はまたがせない」と鳥羽博道さんに激怒されたそうです。
その後、父親の勧めでブラジルで本場のコーヒーを学び、帰国後はドトールのトレーディング部門に配属されました。
ただ、コーヒーの味により、仕入れ値を決めると言う内容なので、1か月で仕事を辞める事も考えていましたが、焙煎の仕事を手伝う内に仕事に夢中になって行きました。
当時は、理想の味でないと父親からかなり怒られたそうです。
理想の味でなければ創業者から雷が落ちる。1杯のコーヒーのために格闘する焙煎師たちの姿を通じて、創業者はドトールの品質レベルを豊氏に伝えたかったのである。
引用:NEWS PICKS
[the_ad id=”884″]
ドトールの社長に就任
2005年7月1日に長男さんがドトールの代表取締役社長に就任されました。
そして、鳥羽博道さんは2005年7月1日に代表取締役会長に就任され、2006年には代表権のない名誉会長に就任されています。
2009年2月27日の日本経済新聞にて
かねて後継者には、この会社を継続的に発展させていける人物を選ぼうと考えていた。息子は私以上に経営というものへのシビアさを持っており、また人望も厚く、社内の人々の支持を得ている事も感覚的につかんだ。その結果、何の不安も無く、息子を後継者に指名する事が出来た。
鳥羽博道さんは長男さんに会社を引き継いでからは、ドトール本社には2・3回それぞれ1・2時間行っただけとなり、社長を退任したので「一切仕事に口を出したくない」と考えてます。
次男(息子)の情報やエピソードは?
引用:LOHAS TALK
まずは、次男の伸博さんの経歴ですが
- 1977年、東京都世田谷生まれ
- 高校卒業後に、ロンドンに8年間留学
- 2014年に銀座にトリバコーヒーをオープンし、その後大沢伸一さん・小林武史さんと「GINZA MUSIC BAR」をオープン
- 2019年に「明天好好」、「ヴィーガン居酒屋 真さか」、「Superiority Burger」をオープン
- 2023年に京都へ移住し、2023年2月に京都の二条通りで「TORIBA COFFEE KYOTO」をオープン
さらに、次男さんはDJとしても活動をされています。
ちなみに、鳥羽伸博と名前の人のフェイスブックには
- 成蹊学園
- Middlesex University(イギリス、ロンドン北部に位置する国立大学)
と書かれていました。
もしかしたら、こちらは鳥羽博道さんの長男さんのフェイスブックかも?しれませんね。
[the_ad id=”884″]
小学校の頃にドトールが急成長する
次男さんが小学校の頃はちょうどドトールコーヒーが急成長をしてる時期になります。
ちなみに、次男さんは父親の影響でクリエイトと言う言葉に違和感を持ってるそうです。
ぼくは、家を建てるなら“家を建てるとはなんぞや”ってところからはじめたい。でも父親は、土地に建てる家のカタログを見たり世界中で撮ってきた写真をベースに「こんな感じがいい」ってところからはじまる。ゼロからつくることとは違って、プラモデルを組み立てることに近い。もっとわかりやすく言えば、市販のマヨネーズに砂糖をちょっといれて「俺の味だ!」っていうような感覚ですね。卵がどうとか、そもそも卵を使う必要があるのかとか、そういう疑問は一切なく。
引用:The New York Times Style Magazine:Japan
海外から帰国後に父親の仕事を手伝う
次男さんは、ロンドンに8年間留学をされ、帰国後は派遣社員をされていました。
その時に、兄の豊さんが経営するハワイのコーヒー農園のマネージャーが辞める事になり、後任を務める事になります。
ハワイには1年半いて、その後は台湾で仕事をするも、上手くいかず東京に帰って来ました。
帰国後は、ドトールを手伝います。
その時、父親の事務所を間借りしたので、かなり多くの指示をされました。
そして
成功体験を持ってる人の新しいアイデアは、なかなか理解が難しい。成功する前の気持ちとかは知りたいけど、自分の人生を踏まえた意見はいらないんじゃないか。
引用:The New York Times Style Magazine:Japan
と思い、トリバコーヒーに自分の考えを100%注ぐ為に、事務所を出る事にしました。
トリバコーヒーを経営
2017年3月17日のYoutubeの社長名鑑にて、鳥羽博道さんが今後の事業について話されています。
その中で
鳥羽博道さんは『「まずい?だったら買ってくれなくて結構です。」と思えるコーヒーを作りたい』と言う想いがずっとありました。
それには企業が大きくなるとそうはいかなくなり、最後にそういう事を実現したいと言う事で、次男には「トリバコーヒー」と言うのをやってもらいたいと。
自分で考えて、世界一のコーヒーを売ると言う事をやって、今までの従来の焙煎業者とは違う新しい形でコーヒーの「とらや」になると、最高級のコーヒーの贈答というものを中心とした喫茶店をやって欲しいと言う事で、今息子が着々とそれに向かってやっている所です。
[the_ad id=”884″]
父親にトリバコーヒーのアドバイスを貰う
次男さんは、父親にトリバコーヒーの事を参加して貰う予定はなかったそうです。
ただ、建物を建ってない・店の詳細も決まっていない中で、父親に相談すると、「最初にロゴを作れ」とアドバイスを貰いました。
そこから決まるものがあり、ロゴの作り方については、デザイナーに100枚書かせて、その中で一番いいものを選び、ディティールを詰めていくと言う事を教わりました。
そして、父親に教わった通りにやると、全然違ったそうです。
ちなみに、トリバコーヒーについて、The New York Times Style Magazine:Japanでは
「トリバコーヒー」の店舗は、銀座のど真ん中にありながら、カフェでもなく喫茶店でもなく、豆の販売のほかはテイスティングコーナーのみ(ちなみにB1階はコーヒーの貯蔵庫、2階は3台の焙煎機を配したロースター、3階はコーヒーを研究するためのラボ)。また、中華の名店「ミモザ」の南シェフが考案した豆花を提供する「明天豆花」、現代美術家の加賀美 健さんとコラボした「コーヒーコーヒーうるさい」など、毎月展開される多彩なポップアップイベントは、食やファッション、音楽などさまざまなジャンルが絡み合い、予想外のギミックであふれ、訪れるたびにワクワクが止まらない!
と紹介されていました。
以上が、鳥羽博道さんの息子さんに関する記事ですね。
コメント