竹内英明さんの家族ですが、父親は亮三さんで母親は昭子さんとなります。
父親は西今宿の医療法人「恵風会 高岡病院」に勤務されていました。
父親の亮三さんは若い頃はかなりイケメンな方でした。
そんな父親は2012年11月に66歳で亡くなっています。
当記事では、そんな竹内英明さんの父親について書きました。
奥谷謙一さんの母親に関する情報はこちらです。
竹内英明の父親は亮三で高岡病院の医師?【家族】
竹内英明さんの父親は亮三(りょうぞう)さんで、西今宿の医療法人「恵風会 高岡病院」に勤務していました。
父は倒れるまで西今宿の医療法人 恵風会 高岡病院に勤めていました。
引用:竹内英明公式サイト
2018年12月26日の竹内英明さんのブログにて、父親について書かれています。
父親は勤務してた高岡病院について書かれてて、竹内英明さんは幼少期に父親が夜勤時に来た事があるそうです。
父が生前奉職した西今宿の高岡病院の本館建物がきれいに完成している。左の竹林こそ昔と変わらないが周辺施設も加えて本当に大きくそしてきれいになった。
とはいえ、本館の中に入ると昔の名残がした。人の動線が変わっていないからだろう。子どもの頃、父が夜勤のときなどにきた記憶。40年近く前のことなのに。
この写真を父が天国から見たらきれいになったなと思うだろう。父がここで働いていたから私がいる。頑張ろう!
病院勤務と言う事は医師か看護師だったのでしょうか?
ちなみに、竹内英明さんは大学は早稲田なので、大学時代は上京をしています。
その時には毎月両親から10万づつ仕送りして貰ってたみたいです。
この事について
家計は大変だったと思います。本当に感謝しています。
と両親への感謝を書かれていました。
父親の画像がイケメン
そんな父親の画像ですが、左が高校時代の父親で右が高校時代の竹内英明さんです。
カッコいい方ですね。
ちなみに、2020年5月16日の竹内英明さんのインスタにて、父親の自筆が紹介されていました。
コンビのフォトフレームに入っており昭和49年11月ということで生後7か月ということになります。私の名前は亡き父の特徴ある自筆文字です。
父親は少し丸文字気味の方だったんですかね?
父親は時計好き
さらに、公式サイトの自己紹介にて
祖父・父親ともに時計好きで、手巻き式などの古い時計を竹内英明さんが引き継ぐも、祖父・父親よりも竹内英明さんの方が大きいので、バンドのサイズが違うので竹内英明さんはつける事ができないとか。
竹内英明さんは身長174㎝・体重77㎏となります。
なので、父親は身長が174㎝以下の方なのかも?しれませんね。
父親は66歳で亡くなる
竹内英明さんの2012年11月12日のブログにて、父親が2012年11月11日に66歳で亡くなった事が書かれています。
葬儀の喪主は長男の竹内英明さんが務めました。
父 竹内亮三儀(享年66才)、かねてより病気療養中のところ、11月11日逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼を感謝し、謹んでご通知申し上げます。
祖父は姫路市役所勤務
竹内英明さんの自己紹介にて
祖父は亮之介さんで、元々は兵庫県姫路市の東二階町商店街でお茶屋「清香園」を経営していました。
ただ、戦争の空襲で閉店となり、祖母の故郷の姫路市の砥堀(とほり)へ帰り、姫路市役所に勤務していました。
ちなみに、2023年1月22日のブログにて、父親には姉がいて、旦那さんが亡くなった事でかなり落ち込でる様子が書かれています。
花北のD。伯父の葬儀に子どもたちを連れて参列。名古山斎場にも同行し、最期のお別れ。合掌。
私の亡き父の姉 伯母の落ち込み振りがかなりのもので心配だ。60年連れ添ったということで私らの思い致すところの話のではない…。
竹内英明の家族|母親は昭子!
竹内英明さんの母親は昭子(あきこ)さんです。
母親の旧姓は池垣で山崎町出身です。
山崎町は
山崎町(やまさきちょう)は、兵庫県の中西部(西播磨地区)にあった町。旧宍粟郡。
2005年に山崎町・一宮町・波賀町・千種町が4町合併して宍粟市となったため、地方自治体として消滅した。現在、旧町域は「宍粟市山崎町○○」の町丁名になっている。
引用:ウィキペディア
そして、こちらが母親の画像です。
綺麗な方ですね。
母親は76歳で亡くなる
竹内英明さんは2024年10月23日に76歳で亡くなっています。
葬儀の喪主は竹内英明さんが務めました。
母親が亡くなった理由については公表されていませんが、2024年10月27日のブログにて
それが昨年末、我慢をしていたのか、まさか病気だと思わなかったのか、突然、母に大きな病気が見つかりました。それから少しずつ悪くなっていきます。
と言う事が書かれていました。
子供のしつけは母親が担当
さらに、同ブログにて、子供のしつけは母親が担当し、竹内英明さんが小さい頃はしつけは厳しかったそうです。
母親は兄弟分け隔てなく育ててくれたそうです。
勉強しろとは言われませんでしたが、早い段階でパソコンを使う環境を構築してくれたりしました。
政治家の道の進んだ時にも両親は反対しなかったそうで、両親が手分けして選挙運動を手伝ってくれました。
父母に育てられましたが、子どもたちのしつけは総じて母の役割でした。食べる物のこと、寝る時間のこと、テレビをみる時間のこと、小さな頃は厳格な感じでした。いまになって全て私たちのことを思ってのことだとわかります。また、兄妹3人を分け隔てなく同じように育ててくれたと思っています。勉強しろとは言いませんでしたが、日本の歴史の本を読んでいた私に次は「三国志」はどうかと勧めてくれたり、かなり早い段階でパソコンを使う環境を構築してくれたりしました。東京の大学にいくときは家計の経済的負担が重かったと思いますが、奨学金とあわせて4年間きちんと支えてくれました。さらに親に負担をかける政治家という職業を選択した際、選挙に出ると言いに帰ってきた時もやめてほしいとか反対はなく受け入れてくれました。実際にも父と手分けして慣れない選挙運動で迷惑をかけました。何も言わず、その後ずっと支えてくれたのです。
以上が、竹内英明さんの家族に関する記事ですね。
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