斎藤元彦さんの出身高校は愛光学園となります。
愛光学園には中学の頃から進学し、中学・高校時代の6年間は寮生活をされていました。
寮生活を一緒に過ごした人達は「生涯の友」で今でも仲良しだとか。
大学は1年間の浪人生活を経て、東京大学に進学をされています。
東京での一人暮らしでは自由になりすぎて、授業をあまり受けておらず、3年進学時には留年をしていました。
当記事では、そんな斎藤元彦さんの学歴について書きました。
斎藤元彦さんのその他の情報はこちらです。
斎藤元彦の学歴|出身高校は愛光学園で中学から寮生活を送る!
引用:X
では、斎藤元彦さんの学歴を見て行きましょう。
若宮小学校時代
引用:斎藤元彦公式サイト
斎藤元彦さんは、小学校は神戸市立若宮小学校出身です。
小学校の頃には、衣掛町に住んでて、須磨海岸や須磨海岸が近くにありアットホームな環境で育ちました。
愛光学園中学・高校時代
中学校の頃から愛光学園に通っています。
中学受験で第一志望は六甲中学校でしたが、合格する事が出来なかった為、愛光学園に進学されました。
中学時代から6年間寮生活をされていました。
中学・高校時代は楽しかったそうで、一緒に寮生活をした同級生について、斎藤元彦さんは「生涯の友」と言ってて、現在でも年に数回は神戸で会う程の仲良しだそうです。
勉強は同級生の中では頭一つ抜けて優秀でした。
愛光学園とは?
愛光学園とは
愛媛県松山市衣山にある併設型の中高一貫校で、カトリック聖ドミニコ修道会による創設となります。
首都圏模試センターによりますと、中学の偏差値は69~70となります。
さらに、みんなの高校情報では、高校の偏差値は75で愛媛県1位・全国9位の学力となります。
愛光学園での寮生活とは?
愛光学園の公式サイトによりますと、愛光学園の寮生活は
上記の写真に載ってた「聖トマス寮中学寮」だと
- 1階 事務室、食堂、売店、風呂、コインランドリー、娯楽室、面談室
- 2階 集団学習室、居室(5部屋)
- 3階 居部(5部屋)、個室(中3)
- 4階 個室(中3)
となっています。
さらに、中学1年生の平日の午後の生活は
- 7時15分に起床
- 学校の授業は15時40分から16時40分に終わる
- 19時15分まで自由時間を過ごし、19時15分から22時55分まで休憩をはさみながら毎日3時間の学習を行う(中学3年以上は23時15分から0時15分まで学習時間の延期が可能になる)
- 22時55分から23時15分まで就寝準備
- 23時15分から就寝
中学1年生の祝日の生活だと
- 8時に起床し、食事や掃除を済ませ、10時から12時まで学習を行う
- 食事を済ませると、12時から18時まで自由時間
- 18時以降は平日と同じ流れ
そして、月に1度の安息日があり、午前の勉強がなく朝から自由時間となります。
食事は、朝・昼・夕を食堂で食べます。
食堂は中学と高校で別れてて、セルフサービスとなってて、食事が終わると洗い場までもって行く形です。
かなり規則正しい寮生活ですね。
東京大学時代
三宮の予備校で1年間の浪人生活の後に、東京大学経済学部に進学をされました。
浪人時のセンター試験では、初日の数学で大失敗をしてしまい、その日の夜はかなりショックを受けて我を忘れていました。
ただ、気持ちを切り替え、次の日の地理で頑張られたそうです。
大学進学後に一人暮らしを始めた事もあり、自由に過ごし、授業にもあまり行っていませんでした。
その為、3年進級時に語学で失敗をして留年をしてしまいます。
留年により「ここままではダメだ」と思い自分を見つめ直してた矢先に、不況の影響を受け実家の家計が悪化し仕送りがストップします。
一時は大学を辞める事も考えましたが、大学に掛け合い、育英会の奨学金に助けられ、この事でセーフティーネットの重要性に気づき、「行政・政治の道」に進む事を決めました。
そんな斎藤元彦さんが就職活動をされてた時は、就職氷河期の頃で就職に対し不安を感じてたそうです。
大学時代の人柄は?
2024年8月28日のニュースポストセブンにて、斎藤元彦さんは大学時代に「イケメン大学生」としてテレビ出演し、地元は盛り上がっていました。
斎藤元彦さんの大学時代に地元で20人ぐらいの集まりがあり、そこにいた人の話によると「優しく真面目な好青年」だそうです。
当時まで成人してなかった元彦くんの友人の女の子が、周りにまじってお酒を飲もうとしたんです。その時、元彦くんは『あかんで』と言って、優しくお酒を取り上げていたのを覚えています。
ちなみに、丸川珠代さんとは大学では同級生でした。
以上が、斎藤元彦さんの学歴に関する記事ですね。
片山安孝さんについての記事はこちらです。
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