蓮舫さんですが、若い頃から非常に綺麗な方です。
蓮舫さんは、1985年「ボム」のB少女倶楽部に選ばれた事から芸能界入りをされています。
そして、タレントになって、最初の仕事は1985年のNTTのテレホンカードのCMで、1986年1月のドラマ「セーラー服通り」で女優デビューもされました。
さらに、1988年7月に第14代クラリオンガールに選出されています。
高校の2年先輩には尾崎豊さんがいて、1992年4月の「3時にあいましょう」で尾崎さんの訃報を伝える際は、泣いて言葉を詰まらせていました。
当記事では、蓮舫さんの若い頃について書きました。
蓮舫の幼少期は?
蓮舫さんは、幼稚園から大学まで青山学院に通っています。
名前の由来は、1985年9月号「ボム」にて
泥の中でも花が咲く蓮の花からと、大波が来ても方向を失わない船の様になって欲しいと言う両親の想いからつけられたんです。
とコメントされています。
こちらが、幼少期の蓮舫さんと父親の画像です。
蓮舫さんは、幼稚園の頃は、近所の公園で活発で遊ぶなど動き回る事が好きな子供でした。
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両親は?
蓮舫さんの祖母は陳杏村さんです。
台湾生まれで、戦後に台湾バナナの輸入業で大成された方です。
この方の息子が父親の謝哲信さんです。
そして、同志社大学留学中に、バナナの輸入業を引き継いで、資生堂に勤務してた斉藤桂子さんと結婚しました。
その後は、日本を拠点にしながら、台湾を往復する生活をされていました。
父親はかなり厳しい人で、夕食のおこずを聞かれて「何でもいい」と答えると、父親に叱られるか何も食べさせてもらえませんでした。
と言った感じで、父親には自分の意見を言う重要性について教わりました。
そして、母親はずっと仕事をされてた人で、その影響で、蓮舫さんは高校時代から「仕事は一緒やって行きたい」と思ってたそうです。
兄弟は?
兄弟は、3歳上の兄と2歳下の弟がいます。
1985年9月号の「ボム」にて、兄弟については
ずっと青山学院に通ってる事を話されています。
さらに、両親は海外出張が多かったので、兄弟で助け合って乗り越えて来たそうです。
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蓮舫の若い頃の画像・動画&経歴まとめ
続いて、蓮舫さんの若い頃について見て行きましょう。
小学校時代
小学校では野球とドッチボールが好きで、女子スポーツクラブに入り、主にバレーボールをされていました。
陸上も好きで、長距離で都の大会に出場されています。
小学校3年時に初恋を経験されています。
同じクラスのスポーツ万能で面白い男子でいつも遊んでいました。
ただ、その後、一緒の中学に進学し、いつもの間にか蓮舫さんの恋心もなくなり、ただの友達になっていました。
さらに、夏休みの頃には両親と兄弟共に台湾で過ごしてて、泊まってたホテルのプールで遊んでたそうです。
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中学時代
中学時代はテニス部で火曜・土曜が部活でした。
普段は渋谷でウィンドショッピングをされていました。
さらに、ロックバンドのボーカルをしてるイケメンの高校の憧れの先輩がいて、1・2回程誘われ喫茶店などに行ったけど、憧れのままで終わりました。
そして、他のクラスの男子に告白された事もありますが、意識して付き合う事が苦手なので、「友達の方がいいから」と言われたそうです。
高校時代
高校ではハンドボール部で週3回練習をし、普段は青山で友達と買い物をしたり、週1でジャズダンスに通っていました。
高校2年時に女子4人でロックバンドを作り、リードギター・ボーカルを務め、「デュラン・デュラン」の曲をコピーされていました。
さらに、当時はモデルにスカウトもされています。
当時の趣味は、音楽鑑賞で「ハワード・ジョーンズ、デュラン・デュラン、ユーミン」が好きでした。
1985年9月号の「ボム」にて、当時の蓮舫さんがインタビューを受けています。
- 将来の夢:マスコミ関係で、雑誌を作ったり、記者もしてみたい
- 好きな科目:世界史、日本史、体育、漢文
- 嫌いな科目:英語
- 青山学院大学の法学部 広報科を希望してるけど、成績が少し足りないかもしれない
- 彼氏はいない。時々「欲しい」と思うけど、友達がたくさんいるからいい気もする
- 好きなタイプ:男らしいスポーツマンで精神的・肉体的にも強くて、グイグイ引っ張ってくれる人
- 好みの外見:スラッとし、彫りの深い人
とコメントされていました。
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高校の2年先輩が尾崎豊
高校時代の2年先輩が歌手の尾崎豊さんで、尾崎さんは兄と同級生でした。
蓮舫さんは、尾崎豊さんを「先輩」と呼んでいます。
蓮舫さんにとって、尾崎さんは優しくて素敵な先輩でした。
蓮舫さんは高校時代から芸能活動をしてて目立ってたので、尾崎さんから声を掛けてくれてる様になりました。
高校時代の尾崎さんについて、蓮舫さんは
人懐っこく、明るくていつも笑顔の人で、学校で蓮舫さんを見ると「おい、どこ行くんだ?」と声を掛けてくれた人です。
高校での尾崎さんは影がある感じの人ではなかったそうで、歌詞と学校での姿にギャップを感じていました。
さらに、学食でアイスをおごって貰った事もあるそうです。
そんな尾崎さんは高校在学中にデビューし、高校3年に上がる際に留年となり、退学をされています。
そして、蓮舫さんが高校2年が終わる時に、3年生の卒業パーティーが行われ、蓮舫さんなど下級生も参加されていました。
そこに飛び入りで尾崎さんが参加し、アカペラで「卒業」を歌われました。
そして、この歌を聴いた人達は、全員涙してたそうです。
尾崎豊の訃報に涙
その後、2人は会う事はなく、当時蓮舫さんが司会に抜擢されたばかりの「3時にあいましょう」の1992年4月の放送で尾崎さんが亡くなった事を伝えました。
突然のニュースに蓮舫さんは言葉を詰まらせ泣いてしまいました。
このニュースについては
日本の国民、万人に知られてる歌手ではなかったけど、若い子の認知度は凄いあった人で
私、個人的に知ってたんですけども、ごめんなさい。
びっくりして。
と言葉を詰まらせていました。
こちらが、当時の映像です。
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高嶋ちさ子は小学校時代からの後輩
高嶋ちさ子さんは、小学校時代からの後輩になり、現在でも親交があります。
高嶋ちさ子さんは、蓮舫さんについて
昔から怖かったんですよ、小学校の時から。今も怖いですけど。めっちゃ怖い
本当に頭が上がらないんです
引用:スポニチ
高校時代の画像は?
こちらが、蓮舫さんの高校時代の画像です。
「ボム」のB少女倶楽部
蓮舫さんは、1985年の「ボム」のB少女倶楽部に選ばれた事から芸能界入りをされています。
当時から人見知りをしない人で雑誌に出る事には抵抗がなく、両親も全く反対されなかったそうで、家族全員が黙認してくれてたそうです。
NTTのテレホンカードのCM
蓮舫さんがタレントになって初めての仕事は、1985年のNTTのテレホンカードのCMです。
オウムと一緒に喋ってしまうと言う設定で、元々は10月1日から10日間だけ流すつもりでしたが、好評だったのでその後も放映されました。
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クラリオンガール
1988年7月29日に第14代クラリオンガールに選出されています。
この時は、19歳で斉藤蓮舫と言う名前でした。
引用:X
クラリオンガール担当者曰く、蓮舫さんを選んだ決め手は
この発表会での自己紹介で北京語・英語・日本語を披露し、3週間特訓をした歌とダンスを披露されています。
この時の夢は、「山口百恵さんの様な女優」でした。
さらに、当時の趣味は「愛車・フェアレディZで高速道路を走る事」だそうです。
1987年10月号の「ヤングオート」では、当時の蓮舫さんについて
ちょっと荻野目洋子似の中々チャーミングな娘。
身長が160㎝で、スリーサイズはB80、W58、H80。
水泳で鍛えた体は、この発表会で見せた水着やドレスがばっちり似合ってた。
と紹介されていました。
ドラマ出演
1986年1月から3月までドラマ「セーラー服通り」でれい子役
この作品は女優デビュー作ですが、当時の雑誌にて
メインの他に女の子がいっぱい出て来る番組だったでしょう。私はその中の一人だったんで、セリフもあんまりないだろーな、なんて思ってたら結構貰えたんです。
プロデューサーの方に気に入って頂けたのがラッキーだったみたい。
友達にも言われました。「蓮ちゃんはセリフ喋べんなくても目立ってる」って(笑)。
今度、「毎度おせわがせします」みたいに楽しいドラマをやってみたいです。
と語っています。
1988年1月から3月までドラマ「君の瞳をタイホする!」で婦人警官役
1992年4月から7月までドラマ「社長になった若大将」でチーホー役
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グラビア
蓮舫さんはグラビアもされてた時期があります。
こちらがその時の画像です。
そして、1990年頃に「漂流GALS」と言うユニットを組んでいます。
メンバーは、蓮舫さん・岡本夏生さん・松永光代(現、太田光代)さん・荒井美恵子さん・永井美帆さんです。
当時は、岡本夏生さんと蓮舫さんはライバルで所属事務所が出番の時間で喧嘩したりもしていました。
お互いは宿命のライバルよ。どっちの出番が1秒長いだ多いだと、(所属事務所は)大喧嘩。 現在でいうところの、AKB48のセンターポジション争い。そんな感じよ
引用:テレビウォッチ
スーパージョッキー
蓮舫さんは、ビートたけしさんが司会を務めた「スーパージョッキー」の熱湯コマーシャルでガダルカナルタカさんのアシスタントを務めています。
こちら、1994年に蓮舫さんが同番組に出演した時のものです。
ちなみに、こちらは高田純次さんと司会をされた「金曜テレビの星!IQ天才塾」のものです。
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CM
蓮舫さんは、1991年に「激論!黒ラベル」のCMに出演されています。
こちらは、藤井フミヤさんと共演されたものです。
時代を感じるCMですね。
キャスター時代
そして、蓮舫さんはキャスターとして活動されます。
キャスターとしての蓮舫さんを育てたのは田原総一朗さんです。
当時の蓮舫さんについて田原さんは
分からないことは分からないといい、驚くほど勉強した。イエス・ノーはっきりさせ物事を曖昧にしなかった
自分にも厳しいが他人にも厳しい。
引用:産経新聞
そんな蓮舫さんですが
1992年4月から1992年9月まで「3時にあいましょう」の司会を務めています。
1992年10月5日から1993年4月2日まで「スーパーワイド」の司会を務めています。
1993年4月3日から1995年10月1日まで「ステーションEYE」の司会を務めています。
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北京大学に留学
蓮舫さんは、1995年から1997年まで元夫の村田信之さんと共に北京大学に留学し、中国語や中国の文化・政治経済を勉強されています。
現代ビジネスの2010年7月19日の記事にて
留学した理由については、父親が台湾人だけど、蓮舫さんはは中国語が全く話せない事が情けなく思い、中国へ行き、集中的に勉強しようと思ったから
テレビの仕事を休んで留学したのは、蓮舫さんは本気で何かを始める時には、他の事を捨ててリセットする性格なので、テレビの仕事を辞めて来た
さらに、雑誌のインタビューにて
2年半ニュースキャスターをやってみて、「このまま続けていたら抜けられなくなるな」と思ったんですね。
「ニュースはいつまでも続けるやりがいのある仕事だからこそ、どこかで自分で線を引いて卒業しなくちゃ、いつまで経っても留学のきっかけがつかめない」と思って決めました。
とコメントされています。
蓮舫さんは、中国留学中に双子の子供を授かりました。
そして、日本に帰国し、1997年4月に双子を出産されています。
以上が、蓮舫さんの若い頃に関する記事ですね。
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