根本康広さんの妻は2019年に亡くなっています。
さらに、お嫁さんはずっと藤田菜七子さんに騎手としてハッパをかけてた方となります。
根本康広さんには、息子さんと娘さんがいますが、強く怒った事はないです。
当記事では、根本康広さんのお嫁さんと子供さんについて書きました。
藤田菜七子さんの旦那さんの情報やエピソードはこちらです。
根本康広の妻(嫁)は亡くなってる!
引用:スポウマ スポニチ競馬
2019年12月9日の記事にて、2019年8月に根本康広さんの妻は亡くなってる事が書かれています。
そして、お嫁さんは藤田菜七子さんにずっと騎手の大変さを語ってハッパをかけていました。
8月に亡くなった自分の妻が『騎手は大変だよ』と、ずっと菜七子にハッパをかけてくれていた。きっと喜んでいるでしょう」
引用:5ちゃんねる
2024年5月9日のスポウマの記事にて、妻との思い出を話されてて、お嫁さんには
あなたは競馬学校の教官が似合うよ
と言われてたそうです。
嫁(妻)が亡くなってから立ち直って来てる
2020年1月14日のぐりぐり君の個人馬主ブログにて、根本厩舎の新年会をされた事が書かれてて、その中で、根本康広さんは妻が亡くなってからずっとショックを受けていましたが、徐々に立ち直って来てる事が書かれています。
根本先生は昨年奥さん亡くされてショックを受けてましたが、立ち直ってきたみたいよかったです。
独身に戻って寂しいとも言ってたので再婚相手を探してあげたいです(笑)
今度合コンでも…と言ったら笑ってました
根本康広には息子・娘がいる!
2016年5月10日のnetkeibaにて、息子さんと娘さんがいて、強く怒った事がない事を話されています。
根本康広さんの師匠が
言われてできるならサルでもできる、人間は言われる前に自分で動かないと。それができないなら一生できない
と言う考えの人なので、失敗して怒るよりも教えると言う考え方だそうです。
子供さんに関してはそれ以上の情報は出て来ないので、息子さん・娘さんともに競馬関係の仕事はしていないのではないでしょうか?
根本康広の実家は梶原書店!
根本康広さんの実家は1964年から都電荒川線の停留場前で古本屋の「梶原書店」を営業してて、2021年9月30日に閉店をしています。
2021年11月19日のYoutubeチャンネル「出版区」にて、梶原書店の最終営業日の事が投稿されています。
赤羽マガジンの2024年5月21日の記事にて、梶原書店の解体工事が進んでる事が書かれています。
工事予定期間は2024年5月13日から2024年5月31日となってるので、現在は完全に解体をされてるっぽいです。
父親は健一!
2020年12月7日の読売新聞オンラインの記事にて、父親は根本健一さんで年齢は85歳となります。
戦前に健一さんの父親が現在の文京区(旧本郷区)で古本屋を営んでいましたが、空襲で焼けてしまい、戦後は荒川区で店を開くも火葬場の側だったので客数が伸びずに、現在の場所での開業をされました。
父親は競馬好きだったので、中学3年時に根本康広さんに黙って騎手に応募をして、最初は「騎手にはならない」と言ってたけど、父親が強く勧めるので根負けをしてしまい、騎手養成所に入りました。
そして、根本康広さんは騎手養成所の卒業試験で3度失敗してしまったので、父親は元々趣味で詩を作り、自主盤レコードを出してたので、息子さんの為に「夢見るダービージョッキー」を制作しています。
こちらが、その歌詞になります。
♪小さな体 折り曲げる 僕ら少年 見習いジョッキー 雨の日 風の日 なんのその
♪男だ なんで泣くものか こする眼まなこの 月あかり
♪きっといつかは この鞭むちで ああ 夢に見る ダービージョッキー
上記の歌詞の通り、根本康広さんは凄い騎手になり、健一さんは息子さんの事が誇らしかったそうです。
この歌は根本康広さんにとって中々のプレッシャーでしたが、「父親がいないと今の自分はない」と感謝もされています。
「あの歌は結構なプレッシャーだったな」と苦笑しつつ、「オヤジがいなければ今の私はいない」と感謝している。
以上が、根本康広さんに関する記事ですね。
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