根本良輔さんですが
- 石神井高校 卒業
- 芝浦工業大学 卒業
- 東京大学 大学院 中退
となります。
幼少期や小学校時代はヤンチャな人ですが、中学時代からかなり勉強をする様になり出し、真面目な人に変わって行きました。
中学・高校時代はバスケ部に所属するも、下から数えた方が早いレベルでした。
大学時代に猛勉強を経て、東大の大学院に入るも、大学院では半年程でナンパの道に進みました。
当記事では、根本良輔さんの学歴について書きました。
根本良輔さんのお嫁さんの情報やエピソードはこちらです。
根本良輔の学歴|出身は石神井高校・芝浦工業大学卒!
引用:Youtube
根本良輔さんは3兄弟の末っ子で、長男が8歳上で次男が6歳上でした。
上の兄弟2人はよく喧嘩をしていましたが、根本良輔さんは兄とは喧嘩せず遊んでもらって育ちます。
幼少期はガキ大将で、それなりにモテていました。
黒川敦彦さんの学歴や経歴はこちらでまとめました。
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小学校時代
小学校入学から3年まで学童クラブに入ります。
学童クラブは小学校3年生まで子供の面倒を放課後から18時まで見る施設です。
根本良輔さんは、小学校時代は問題児で全然勉強もしていませんでした。
小学4年からは学童がなくなるので、習い事でサッカーを習うも、そこは強豪で周りは小学校入学時に始めた人達ばかりなので、一番下手だったのでチームでの居場所がなく、練習も適当にされていました。
その1年後にサッカーを辞めて、体操を始めます。
小学校5・6年の時には、怖い先生が担任になり、時々悪さをするも、かなり大人しくなって行きました。
中学時代
中学校は、公立に進学します。
中学時代はバスケ部に所属し、バスケに熱中します。
ただ、周りはバスケ経験者が多く、下から数えた方が早い実力でしたが、練習は毎日通い頑張っていました。
さらに、部活で上下関係もあり、問題を起こさなくなるけど、仲良しな人達はタバコを吸ってたり、喧嘩になった時に服をビリビリに破いてしまう様な問題児の人達でした。
当時は、同じクラスにほぼ友達がいなかったので、その事を凄く悩んでたそうです。
中学の最初の頃の成績はオール3でしたが、1年の終わり頃に母親に「テストで90点以上取れば、1000円あげるよ」と言われ、少し本気で勉強をすると、クラスで2・3番を取ったで、勉強をするようになり、中学2年の初めのテストでは平均90点ぐらいで学年5位になりました。
ただ、根本良輔さん曰く
そこからは部活と勉強のみの生活になり、優等生になって行き、3年時には代表委員にまでなっていました。
高校時代
高校は推薦で、家の近くの石神井(しゃくじい)高校に進学します。
当時の石神井高校については、Youtubeのトマホークにて
と語っています。
この高校は校則が緩いので、当時は練馬区の辺りのチャラい人達が集まっていました。
男の4分1がサッカー部に所属し、サッカー部は学校でモテる存在でした。
ただ、根本良輔さんはバスケ部に所属し、都でベスト8に入るなど高校では一番強い部活だったので、練習はかなりきつく、下から数えた方が早い実力で、高校時に一度もレギュラーにはなれませんでした。
勉強では、定期テストで常に学年1位になるけど、模試は解らないので、寝てたりしていました。
高校時代も大人しい優等生で、恋愛とは無縁の生活でした。
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大学受験時
大学受験の際は、全然情報を知らない状態だったので、「東大いけるんじゃない?」と簡単に考えてたけど、予備校の東進に通い始め、そこで東大は無理な事に気付き、志望校を首都大学(現、東京都立大学)にしました。
ただ、首都大学に落ちてしまい、芝浦工業大学 電気工学科に進学されました。
根本良輔さんは受験に向け、毎日10時間以上の勉強をしてたのに、この結果になってしまったので、人生で初の挫折を経験しました。
芝浦工業大学しか受からなかったので、親に「浪人して国公立に行きたい」と打診をしたけど、「普通に現役でいけ」と言われたので、大学院で東大を目指す事を決めます。
大学時代
大学4年間は、レポートが多くてかなり勉強に追われていました。
そして、大学の成績評価のGPAは4段階中3.5程とかなり高かったそうです。
さらに、夏休みなどに大学院の受験に向けて、数学・物理・英語の勉強を毎日行っていました。
バイトでは塾講師をし、教える事で、物理・数学の基礎を確認していました。
大学時代ではバスケもされていましたが、ほとんどの時間は勉強に費やしていました。
大学時代の恋愛事情
大学2年時に初彼女ができ、相手も中高女子校出身で初恋愛の人でした。
根本良輔さんは今での学生生活では自分より成績がいい女性と出会った事がなく、その事で興味を持ち、顔も可愛かったので、自身から告白をされました。
1年程付き合いましたが、当時は勉強をしたかったので、デートに全く誘わずに、彼女に怒られてました。
そして、最終的にフラれてしまいます。
元々、社会勉強の一環で付き合ったので、そこまでショックではありませんでしたが、その人とはバイトが一緒なので気まずかったそうです。
さらに、大学最後の春休みに友達の紹介で、また可愛い彼女が出来ます。
その方とは2か月程で別れ、5日程引きずってしまいましたが、大学院での勉強が忙しすぎて、忘れる事が出来ました。
ただ、この恋愛での苦い経験が後々ナンパ師になる事に繋がったとか。
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大学院時代
その後、大学院の受験をし、東京大学と東京工業大学に受かります。
大学院では博士からスタンフォードに行ける事をセミナーで聞き、起業家になる事も考え始めてたので、学生起業家の多い、スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校を目指す事を決めます。
ただ、その場合は東大の中でもぶっちぎりで研究ができ、英語が出来て、国際向けの発表をどんどんしていかないと受からないレベルなので、今まで以上に猛勉強に励みます。
大学院では半導体の回路設計をされていました。
元々、根本良輔さんはこの研究室には全く興味がなく、大企業に就職する事しか考えていなかったので、学歴を手に入れる為に選んだそうです。
その為、大学院での勉強内容については、根本良輔さん曰く「全然意味がわからなかった」そうです。
そんな中、自己啓発本を読み始め、その中に零時レイさんが書いたナンパ本があり、その本に夢中になり、博士を目指す事が吹っ飛んでしまいます。
そして、掲示板でナンパの師匠を探すと「弁護士と医者のヒモをやって、月300万程貰ってます」と言うものがあり、半信半疑で会ってみると、その内容が本当で、さらにその人は話も面白かったので、人間として惚れ込んでしまい、師匠にする事を決めます。
今まで恋愛をそこまでして来てなかったので、「モテたい」スイッチが入ります。
ちなみに、こちらがナンパを始める前の根本良輔さんです。
引用:note
大学院休学から中退
2017年11月に大学院を休学し、その師匠の元でナンパを始めました。
元々、最初の1か月程は、大学院で18時まで研究後にナンパに向かうも、研究室との温度差が凄すぎて、気持ちを全く切り替える事が出来ずに、辞めようと思うも、学費が掛からずに休学を出来る事を知り、親には「プログラミングを勉強し、起業する」と言って休学をされました。
親はプログラミングの意味がわかっていなかったので、かなり怒ったそうです。
その為、家を出て、師匠が借りてくれた家に住み込みでナンパを行う事になります。
ちなみに、師匠の命令で、その後ナスの被りものをして会いに行った事があります。
その時に、親には「休学してお前はプログラミングをやってるんじゃないの?その恰好で会いに来て、お前何なの?」とかなり怒っていました。
こちらがそのナスの被りものですね。
引用:Youtube
大学院は2年間休学されています。
その後、師匠の元でナンパを学び、師匠の元を独立するタイミングで復学か中退の2択でしたが、迷わずに中退を選び、2019年7月に大学院を中退をされています。
その時にXで、「さよなら東京大学」と投稿されています。
退学を選んだのは、復学する理由がなかったからだそうです。
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根本良輔の学歴観まとめ
引用:Youtube
続いて、根本良輔さんの学歴観を見て行きましょう。
高学歴はナンパでも結果を出せる
根本良輔さん曰く、高学歴の人はナンパでも結果を残せるそうです。
努力の下地があり、受験と言うかなり理不尽なレッドオーシャンを勝ち抜いてきた人間なので、何事でも学歴高い人はコツコツやるとの事。
大学はいらないと言う考え
ただ、根本良輔さんは2022年2月10日のトマホークチャンネルにて
僕、ぶっちゃっけ、「大学いらなくね?」と思ってるんですよ
とコメントされています。
勉強以外にやりたい事は絶対あると思ってるそうで、勉強をちゃんとにやりたい人は本気の研究者などの人達だけでは?と考えています。
みんなが勉強しないといけないと考えるのは、中学・高校を経て、その考え方になってると思ってるそうです。
以上が、根本良輔さんの学歴に関する記事ですね。
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