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増山江威子の旦那(夫)は政田一喜で娘がいる!子育てエピが凄すぎ!

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増山江威子さんの旦那は政田一喜さんです。

旦那さんはTBSで勤務されてて、その後は歌舞伎・文楽の解説員やフリーで舞台中継・テレビなどの制作・演出を行っていました。

夫の実家は京都のお茶屋となります。

そんな旦那さんですが、上品でかなり優しい人でした。

増山江威子さんには、娘さんがいます。

増山江威子さんは声優の仕事をしながらも、キチンと子育てをされていました。

当記事では、そんな増山江威子さんの夫や娘について書きました。

増山江威子さんの若い頃についてはこちらです。

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目次

増山江威子の旦那(夫)は政田一喜!

増山江威子さんの夫は政田一喜(まさだかずよし)さんです。

みんなからは「いっきちゃん」と呼ばれていました。

旦那さんは、京都のお茶屋の長男で、妹が2人いました。

実家は京都の祇園にあり、一力のそばにあります。

ちなみに、お茶屋は息子は継ぎようがないそうです。

旦那(夫)の経歴や学歴は?

旦那さんは野際陽子さんと同じくらいの年齢です。

野際陽子さんは、1936年1月生まれなので、旦那さんも1936年生まれの88歳くらいかも?しれませんね。

長嶋茂雄さんがいた頃に立教大学に通っていました。

その後、TBSでディレクターになり、「料理天国(プロデューサー)」「東京音楽祭」「レコード大賞」「3時にあいましょう」など上品な番組を担当されてる方でした。

さらに、1966年12月27日の「ヤング720」にも関わっています。

「3時にあいましょう」でお世話になってた毒蝮三太夫さん曰く

優しくて、大人しい人で怒鳴った事がない人

だそうです。

増山江威子さんも夫に怒鳴られた事はなく、江戸っ子の増山江威子さんばかり怒鳴ってたとか。

政田一喜と言う名前のフェイスブックがあり

京都市出身で世田谷在住となっています。

そして、学歴は京都市立日吉が丘高校(1953年卒)→立教大学 文学部英語英米文学科となっています。

なので、こちらはもしかしたら、旦那さんのフェイスブックかも?しれませんね。

ちなみに、日吉が丘高校は

  • 京都市東山区にある公立高校
  • 偏差値は、2024年時点で49
  • ブラックマヨネーズの吉田さん・風吹ジュンさん・西村和彦さんが出身

と言った学校になります。

旦那(夫)は歌舞伎や文楽の解説を行ってた

「木村政雄の私的ヒストリー」の記事にて、旦那さんについて書かれています。

  • かなりダンディーな人
  • 夫が関わってた番組では、夫の人柄が反映されてて、温かく和気あいあいとした雰囲気で作ってた
  • 現在は歌舞伎や文楽の解説を行ってる

今は歌舞伎や文楽の解説をされていると聞きます。とてもダンディな方で、この人の前で下ネタなど、およそ口にできる雰囲気ではありませんでした。政田さんのお人柄を反映してか、スタジオや楽屋の中も家庭的な温かい雰囲気に包まれていました。芳村真理さん、女性マネージャー、代理店博報堂の女性AE、辻調の小川先生、クッキングスタイリストの女性、久米さん、龍虎さん、制作会社TBS映画社のスタッフなどが、和気あいあいとしたチームワークの良さで番組創りに励んでいましたね。

「ばんぐみ倶楽部」で旦那さんは「ばんぐみオペラ講座」を担当されていました。

こちらは

皆様とオペラをご一緒に楽しみたいと思います。
オペラは断片的に、その中の一曲だけを聴くよりも、なるべく全曲を見ていただきながら、見どころや、聴きどころ、ストーリーなどをお話ししたいと考えています。

■毎月1回(月曜日夜)開催
■講義・オペラビデオ鑑賞、など

と言った内容です。

そして、この中で、歌舞伎・文楽のイヤホン・ガイド解説委員でフリーで舞台中継・テレビなどの制作・演出を行ってる事が書かれています。

元TBSテレビのチーフ・プロデューサー。現在、歌舞伎・文楽のイヤホン・ガイド解説委員。フリーで舞台・テレビ・舞台中継等の制作・演出を手掛ける。

さらに、2002年1月の「向田邦子をめぐる17の物語」にて、旦那さんの話も書かれています。

この中で、夫は向田邦子さんについて

元気なお姉さん、せっかちでおっちょこちょい

引用:読書メーター

と書かれてたそうです。

一時期は宝塚に住んでた

増山江威子さん・夫ともに宝塚歌劇団が大好きです。

なので、旦那さんの仕事が落ち着いた2005年からの9年程の間に宝塚大劇場付近に住んでいました。

旦那(夫)は亡くなってる

2023年6月15日の「マムちゃんねる」にて、旦那さんが亡くなってまだ1年経っていない事を話されています。

増山江威子さんは「まだ辛く、そうそう簡単には諦められない」と話しています。

増山江威子には娘がいる!

増山江威子さんですが、ウィキペディアによりますと、娘がいます

この情報は、1979年「TV洋画の人気者 声のスターのすべて」・1980年7月「月刊OUT 声優インタビュー増山江威子さんの巻」が引用元となっています。

なので、1979年時点で娘さんが生まれてる事になるので、少なくとも45歳以上の方と言う事になりますね。

増山江威子の子育てエピが凄すぎ!

2017年6月4日の「ラジオ深夜便」にて

海外から洋画やアニメーションが入って来て、吹替の仕事を始め出してから、増山江威子さんも結婚したりしたので、家庭と両立をさせたかったそうです。

なので、旅は行けないし、テレビドラマも生で稽古が長いので、両立するならも声だけなら時間が短いので、声優に切り替えました。

そして、増山江威子さんは娘さんに「寂しい想いをさせたくない」と言う気持ちが一番だったので、学校の父母会・運動会などの日は仕事を休んで、絶対に休まずに参加していました。

さらに、子供を預ける所がないと言う経験をした事がなく、住み込みの人に来て貰ったり、近所の人に手伝って貰ったりするなど色々な方法で、娘さんが寂しい想いをしない様に、キチンと子育てもされていました。

娘さんも増山江威子さんの仕事の事を理解してくれてて、喜んで協力もしてくれていました。

娘さんが小さい時には、増山江威子さんの話をテープに入れて、手伝ってくれてる人に、娘さんが寝る時に流して貰える様に頼んでいました。

増山江威子さんは今でも、仕事で遅くなる時には、夕飯はキチンと作って置いて行く様にされています。

そして、娘さんの弁当もずっと作っていました。

増山江威子さんは「何かを買ってや何か出前をとって」みたいにする事が嫌だそうです。

増山江威子さんは

結婚適齢期が来たらキチンと結婚し、ちゃんと人並みにやりたいと言う願望がありました。

仕事をしてるから家の事はいい加減でいいではなく、結婚と言う形をとったなら、両立させたい。家をほったらかして、仕事をしたいと思うなら、結婚はしなかった。

と言う考え方でした。

さらに、旦那さんは「家庭に入って欲しい」とは言わずに、「仕事をやってた方がいい」と言う考え方の人でした。

そして、同番組にて、大人になった娘さんの話をされています。

娘さんとは友達みたいな感じで、娘さんは「私の母親がママで良かった」とよく言ってくれてるそうです。

そんな風に娘に言わる事は子供に認められた感じで嬉しいそうで、増山江威子さんも「そういう娘で良かった」と思ってるそうです。

以上が、増山江威子さんの旦那さんや娘に関する記事ですね。

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