前田悠伍さんの父親は孝博さんで、会社員をされています。
さらに、滋賀県立伊香高校では野球部に所属し、投手と遊撃手を務めています。
前田悠伍さんは幼少期から、実家のそばで父親と兄と一緒にロングティーやキャッチボールをされていました。
そして、そのキャッチボールが現在の投球フォームの原点となっています。
そんな父親は、前田悠伍さんの公式戦と関西圏の練習試合は、ほぼ現地で観戦されていました。
当記事では、そんな父親の情報やエピソードについて書きました。
前田悠伍さんのハゲ説がデマ理由についてはこちらの記事でまとめました。
前田悠伍の父親は孝博で伊香高校の野球部出身!
大阪桐蔭の前田悠伍さんの父親は
- 孝博さん
- 2023年11月15日の日刊ゲンダイにて、年齢は48歳
- 会社員
- 滋賀県立伊香高校の野球部出身で、高校まで野球をしてた
- 投手と遊撃手として活動
となっています。
こちら、前田悠伍さんの父親の画像です。
引用:日刊スポーツ
大人の渋みがある父親ですね。
投手と遊撃手は野球の花形ポジションになり、これらを守ってた父親はかなり野球と運動センスの高さがある人ではないでしょうか。
ちなみに、前田悠伍さんがソフトバンクにドラフト1位で指名された際に父親は
ドラフト当日はドキドキでしたが、ソフトバンクさんに1位指名された時はほっとしました
引用:日刊ゲンダイ
とコメントされています。
父親は地方大会ベスト8にも入れず
父親が在籍した伊香高校ですが、以下の期間に甲子園に出場されています。
- 夏の甲子園は、1968年度・1973年度・1987年度
- 選抜大会は、1977年度・1987年度
となっています。
ただ、父親の年齢から高校卒業年は1993年前後となり、父親が伊香高校野球部在籍時には春も夏も甲子園に出場していない事になります。
「高校野球データベース」にて、父親が野球部に在籍してた可能性が考えられる1990年~1994年の夏の滋賀大会のベスト8チームは
- 1990年 八幡商・彦根東・比叡山・甲西・玉川・栗東・虎姫・長浜
- 1991年 八幡商・石山・近江・比叡山・彦根東・栗東・堅田・守山
- 1992年 近江・比叡山・八幡商・栗東・八幡工・瀬田工・長浜・石山
- 1993年 近江兄弟社・大津商・守山北・栗東・長浜・安曇川・東大津・高島
- 1994年 近江・長浜・栗東・比叡山・米原・草津東・安曇川・八幡商
となり、父親が在籍してた頃には、夏の滋賀大会ではベスト8に入る事が出来ていない事になります。
父親が高校時代に野球をされてた頃は、滋賀県自体の野球のレベルが高くなかったそうです。
そして、高校時代はチームメイトと「甲子園に行こう」と話されていました。
僕は投手と外野手をやっていましたが、今ほど科学的なトレーニングもない。そもそも近江高校が強くなる前の滋賀県は県内の野球レベルがそこまで高くなかった。僕らは『甲子園に行く!』とか言ってましたが、普通に無理やろ、と
引用:日刊ゲンダイ
伊香高校野球部は2人の野球選手が在籍
伊香高校野球部のチーム方針は
人間は最も楽な条件のもとで栄える(成長する)のではなく、逆に最も人間が挑戦しなけらばならない事態のもとでこそ栄える(成長する)。挑戦が大きければ大きいほど、それに応じる人間は偉大となる。
才能=質×努力×人間性
引用:滋賀県立伊香高等学校野球部
となっています。
伊香高校出身のプロ野球選手は
- 高橋俊春さん(1982~1983年 広島カープ、1984年 西武ライオンズ)
- 西村高司さん(1973~1975年 巨人)
西村さんは高校卒業後にプロ入りし、高橋さんは大学・社会人を経てプロ入りをされています。
そして、年度から西村さんも高橋さんも父親が伊香高校に在籍する前の人達ですね。
父親とのエピソードまとめ
引用:日刊スポーツ
では、続いて、父親と前田悠伍さんとのエピソードを見て行きましょう。
前田悠伍の名前の由来は?
前田悠伍さんは2兄弟の次男として生まれました。
4歳上のお兄さんは詠仁(えいと)さんです。
そして、両親が前田悠伍さんの名前にも数字を入れたいと思い「伍」を入れた名前にしました。
前田悠伍が野球を始めたきっかけ
前田悠伍さんの兄が先に、高月野球スポーツ少年団で野球を始め、父親が小さい前田悠伍さんを連れて行って、遊ばせてたので、前田悠伍さんも野球を始めました。
ちなみに、前田悠伍さんのいとこも野球をされています。
サッカーに行くのを防ぐ
前田悠伍さんが小学校3年の時に、幼稚園の頃の友達がほとんどサッカーをしてたので、サッカーに興味を持ち出し、自身もサッカークラブに入ります。
元々、父親は野球をやって欲しかったけど、この時は見守るしかありませんでした。
ただ、その2・3か月後に、父親と前田悠伍さんでスポーツ用品店に行き、前田悠伍さんが1万5000円程のグローブを欲しがってたので、それを買ってあげる事で、それ以来前田悠伍さんは野球のみにまい進しました。
2、3カ月ほどたったある日、スポーツ用品店を訪れた際、父は前田を野球コーナーへ連れて行くと、黄色いグラブの前で〝自然に〟立ち止まった。約1万5千円。少年用としては安くはないが、前田の「かっこええ」の一言に、孝博は「ほな、それ買おうか」。そこから前田は完全に野球一直線となった。
引用:西スポWEB OTTO!
投球フォーム原点は父親とのキャッチーボール
前田悠伍さんの投球フォームの原点は、幼少期からずっと行ってた父親・お兄さんとのキャッチボールになります。
そして、実家は滋賀県長浜市にあり、自宅の庭と周りの田畑を含め、広いグランドの様に野球をする事ができ、父親・兄と3人でロングティー・キャッチボールなどのプレーをされていました。
さらに、高校3年夏の大会後に実家に帰り、久々に父親・兄とのキャッチボールをされました。
前田悠伍さんの中学時代の球速は138キロで、高校では148キロまで上げてるので、進化の早さに父親はびっくりしたでしょうね。
ちなみに、2023年7月31日のスポーツ報知にて、年に数回の家族面会の時に、父親に対して
と話してたそうです。
前田悠伍の公式戦はほぼ観戦
父親は、前田悠伍さんの公式戦をほとんど現地で見ています。
さらに、練習試合が関西圏の場合は現地に見に行っています。
前田悠伍にオーダーメイドの寝具をプレゼント
父親は、プロ入りをする前田悠伍さんに向けて、滋賀県長浜市の松村寝具で父親がオーダーメイドの寝具をプレゼントされました。
松村寝具では、大阪桐蔭の先輩の巨人の横川凱さんも寝具を作ってた事が縁で、こちらで作られたそうです。
父親が話す前田悠伍のエピソードは?
父親が話された前田悠伍さんのエピソードですが
大阪桐蔭でキャプテンをされてた事に関して
弱音を吐くことはありませんでしたが、キャプテンは大変な部分があったと思います
引用:ナンバーウェブ
前田悠伍さんは大阪桐蔭時代は、携帯禁止の寮生活なので、あまり会う事は出来ませんでしたが、父親は2か月に1度の食事で会う度に前田悠伍さんの成長を感じていました。
さらに、コロナ渦での前田悠伍さんについて
6時間というのは盛ってますよ(笑)。でも、4時間くらいは自宅で毎日、体幹を中心にトレーニングしていましたね。コロナで家にこもり切りでは気がめいると思ったので、『買い物でも行こうか』と言っても、悠伍は『トレーニングが終わったら行く』とか、そんな感じでした
引用:日刊ゲンダイ
前田悠伍(大阪桐蔭)の母親の由香は陸上選手!
そして、前田悠伍さんの母親は
- 由香さん
- 高校時代は陸上選手
となっています。
こちらが、母親とお兄さんの画像です。
引用:日刊スポーツ
2023年11月15日の日刊ゲンダイにて、それぞれの年齢は
- 母親 48歳
- 兄 22歳
となっています。
母親は「以前の前田悠伍さんは感情が出てたけど、大阪桐蔭に入り出さないようになり出した」事を話されています。
感情が表情に出る子でした。大阪桐蔭に入って、マウンドでも取材でもポーカーフェイスをつくるようにしていたのだと思います
引用:ナンバーウェブ
前田悠伍が父・母親に向けての手紙が感動的
そんな前田悠伍さんは、節目毎に父・母親に手紙を書いています。
中学卒業前には、便箋2枚に父・母親への感謝の手紙を書きました。
父親には
帰省したときは、俺の球捕れへんくなってるで。楽しみにしといてな!
引用:スポニチ
母親には
家を出るけど悲しんだらあかんで。一つお願い!入寮するときは、泣かずに笑顔で見送ってな
引用:スポニチ
さらに、父親の財布には前田悠伍さんが小学校時代に書いた手紙が入っています。
以上が、前田悠伍さんの父親に関する記事ですね。
コメント