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桑木知二の画像&wiki風経歴|仕事は音のプロで学歴は青学中退!

桑木知二さんは東京都文京区出身で、早稲田高校を卒業後に青山学院大学を中退をされています。

仕事はサウンドプロデューサー・録音ミキサー・サウンドデザイナーをされています。

20歳の頃に青山録音センターでバイトを行い、そこで師匠の本間美喜雄さんと出会います。

その後24歳でフリーになり、1986年に「ギルド・ジャパン」を設立をしています。

当記事では、桑木知二さんのwiki風プロフィールや経歴について書きました。

目次

桑木知二の画像&wiki風経歴|仕事は音のプロ!

桑木知二さんのwiki風プロフィールと学歴ですが

  • 名前:桑木知二(くわきともじ)
  • 生年月日:1954年1月22日生まれ
  • 出身地:東京都文京区
  • 性格:おおらかでプラス思考(増田恵子曰く)

桑木知二さんの仕事はサウンドプロデューサー・録音ミキサー・サウンドデザイナーとなります。

桑木知二さんはミキサー技師でテレビ・CM・映画などの音響制作をしてて、業界では有名な人で、周りから「歩くアクセント辞典」と言われていました。

仕事に対し「諦めない・手を抜かない・笑顔を忘れない」と言う心構えでされていました。

桑木知二さんが関わって来た仕事の多くは映像作品の音の部分を始めから最後まで責任を持ち管理する仕事が多いそうです。

仕事内容を詳しく説明すると

撮影の時点での役者の声を録音し、
それに付随する現場の状況音も収録し、
持ち帰り台詞を整音して、状況音も整理して、
そのシーンに対しての音のバランスを、
自分でスタジオでまとめ上げ、
僕らが用意する音楽や効果音を付加し、
全ての音をミックスし、初号試写で仕上がりを確認する。

桑木知二さんは

  • 映画「日本のいちばん長い夏」
  • 映画「大丈夫であるようにCocco終わらない旅」
  • ドキュメンタリー「地球交響曲 ガイアシンフォニー 第三番」
  • CM「JINRO」

などの作品に携わっています。

桑木知二の学歴は?

桑木知二さんの学歴ですが

早稲田高校卒業→青山学院大学 経済学部中退

    桑木知二さんは、小学校の頃から在日米軍向けの放送局「FEN」のラジオばかり聴いていました。

    小学校高学年の9歳の時にギターを弾き始め、中学時代からベースを弾き始めました。

    そんな桑木知二さんですが、オヤジバンドでもベースを担当していました。

    さらに、中学時代は器械体操で都大会で個人総合1位になり、高校時代は柔道初段・剣道二段を取得しています。

    桑木知二の経歴は?

    桑木知二さんの経歴ですが

    20歳の頃に青山録音センターでバイトを行い、連日徹夜で寝る暇がない程多忙な生活を行います。

    青山録音センターで本間美喜雄さんの弟子になり、本間さんから色々な事を教わります。

    そして、24歳でフリーになり、業界で最年少のチーフ録音マンとなります。

    1986年に音響会社「有限会社 ギルド・ジャパン」を設立し社長を務めて、1991年1月31日に同社が株式会社となり、2004年1月16日には会社が自己破産しています。

    その後、音楽系専門学校「日本学院放送芸術科」の音声コースで講師を務めています。

    ただ、現在はこちらの専門学校の講師に桑木知二さんの名前はないので、もう辞められてたのかも?しれませんね。

    受賞歴は

    ACC賞やギャラクシー賞、グランプリや
    ラジオCM グランプリ郵政大臣賞
    TVCM銀賞ギャラクシ-賞上半期奨励賞
    カンヌ での、金賞&銅賞
    ロンドン国際広告賞でグランプリ
    芸術祭参加作品 最優秀賞
    ATT賞 グランプリ
    ATP賞2006 優秀賞や
    ATP賞テレビグランプリ2009
    優秀賞/総務大臣賞

    引用:アメブロ

    増田恵子とはCMがきっかけで結婚

    増田恵子さんとはCMがきっかけで出会い、2002年6月に結婚をしています。

    増田恵子さんは2024年10月7日に桑木知二さんが亡くなった事を報告しています。

    桑木知二さんは2024年8月21日に70歳で亡くなっています。

    2024年3月にすい臓がんが見つかり、その後肝臓にも転移し末期と診断されてたみたいですね。

    こちらが増田恵子さんの発表コメント全文になります。

    皆様へ

    この度の訃報のご連絡がこの段になりました事、どうかお許し下さい。

    夫 桑木知二は、昨年暮れ辺りから体調を崩しがちになり、今年3月に膵臓癌が見つかり、その後肝臓にも転移し末期と診断されました。

    その間二人で多くの事を語り合い、治療は続けつつも「命の長さよりも生活の質を選ぼう」「笑顔に満たされた温かな時を一緒に過ごそう」と決め、1分1秒を大切に過ごして参りました。8月のライブに向けても「必ず観に行くからね」と言っていましたが、それも叶わず旅立ちました。

    トモは、歌っている私が大好きでした。私ももちろん歌う事が大好きです。ですので、これからも歌い続けている私を温かく包んでくれると思います。

    皆様、これからも今までと同様に温かく見守って頂けましたら幸いです。

    増田惠子

    以上が、桑木知二さんに関する記事ですね。

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