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小泉進次郎の育ての母親の道子は離婚歴があり娘・純子がいる?

小泉進次郎さんの育ての母親は道子さんです。

道子さんは、小泉純一郎さんのお姉さんで進次郎さんにとっては叔母に当たります。

そして、知的で優しく謙虚な方だそうです。

そんな育ての母親の道子さんですが、1955年頃に結婚し、1957年頃に娘さんが生まれています。

そして、旦那さんのギャンブルの影響で1961年に離婚をされました。

道子さんが49歳の時に、小泉孝太郎さん・進次郎さんの母親になりました。

2人は道子さんの事を「ママ」と呼び、大人になってからも良好な関係でした。

小泉進次郎さんが中学2年時に実の母親ではない事を話すも、「本当の母親だよ」と進次郎さんは言ったそうです。

当記事では、そんな育ての母親の道子さんについて書きました。

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目次

小泉進次郎の育ての母親の道子は知的で優しい人!

上の画像が育ての母親の道子さんです。

道子さんについてですが、2004年8月の「協会誌 大地」にて

知的で優しくとにかく謙虚な方である。大分前に秘書を務めておられる三女の信子さんともお会いしたことがあったが、性格はまったく違うような気がした。

と書かれています。

そして、信子さんについては2019年8月30日のデイリー新潮にて、30年以上小泉純一郎さんの秘書を務めてて、「小泉家の女帝」と呼ばれてて、進次郎さんのお目付け役で結婚するには信子さんの許可がいると書かれています。

とりわけ気になるのは、小泉元総理の4歳年上の姉の信子さんが今回の結婚をどう思っているのかということです。30年以上に亘って弟の秘書を務めた彼女は小泉家の“女帝”と呼ばれ、進次郎のお目付け役でもある。信子さんの許可なしに結婚することは有り得ないと思います

こちらが信子さんの画像ですね。

小泉純一郎さんは5人兄弟の長男で

  • 長女 道子
  • 次女 隆子
  • 三女 信子
  • 長男 純一郎
  • 次男 正也

となります。

道子には離婚歴があり娘の純子がいる?

2005年9月27日号の週刊現代にて、1955年6月頃に道子さんは結婚し、1957年頃に娘さんが生まれています。

家柄が違った為に結婚を反対をされ、その反対を押し切ったので、質素な式となりました。

旦那さんのギャンブルの影響で、1961年に離婚をされています。

娘さんの親権を巡り、民事裁判までなり、親権は道子さんが獲得をしています。

『昭和30年6月ごろ、小泉A子という女性と結婚して、2年後に長女が生まれました。』『ギャンブルに走る精神的な弱さから妻や子に見捨てられ昭和36年に離婚した。』

A子との結婚は、式も質素で名門の政治家の娘の結婚式という感じじゃなかった。隠れるような式だった。家柄が違い、反対を押し切った結婚だったからかもしれない。娘が生まれて、幸せな時代もあった。けど、ギャンブルにのめりこんで結局は妻子から見捨てられた。民事裁判にまで発展し、娘の親権は妻にいってしまい、小泉一族の籍に入れられてしまった。

1957年に純子という子供が生まれているものの
籍は小泉道子にはいれず、父の小泉純也の養女となっています。

育ての母親の道子は84才で亡くなる

2016年8月20日に84才で育ての母親の道子さんは亡くなっています。

喪主は小泉純一郎さんが務めています。

公益財団法人 日本尊厳死協会の2017年1月10日の記事にて、小泉純一郎さんは道子さんの最期の様子について話されています。

だんだん食事が摂れなくなっていましたが、最後まで意識はしっかりして、私が見舞った翌朝、穏やかに永遠の眠りにつきました。延命治療を控えて痛みだけはとってくださいとお願いし、医師もわかってくれました。

道子さんも年来のこちらの会員だったそうです。

このインタビューの中で、道子さんは小泉家の大黒柱的存在である事も話されています。

育ての母親の道子さんのお別れの会が2016年8月28日に行われ、その際に小泉進次郎さんはこらえきれず泣いてたそうです。

「進次郎くんは気丈に挨拶回りをこなしていました。しかしやはり堪え切れず、最後には涙を流していました」(前出・小泉家関係者)

引用:2016年9月7日 女性自身

晩年は胃潰瘍になってた

育ての母親の道子さんは、晩年は胃潰瘍(いかいよう)になり、足も悪くなった事で外に出る事も出来なくなりました。

小泉孝太郎さん・進次郎さんは、道子さんに電話をよくかけてて、道子さんは

2人とも忙しいのにいろいろと気にかけてくれる

引用:NEWSポストセブン

と喜んでてて、口癖は「私は2人を育てる為に生きてたようなもの」でした。

実家の近所にあるパン屋の「ポテチパン」が小さい時の2人が好きだったので、よく道子さんは買っていました。

大人になってから、2人がポテチパンを買って、道子さんの元に届けていました。

小泉進次郎と育ての母親の道子とのエピソードは?

続いて、小泉進次郎さんと育ての母親の道子さんとのエピソードを見て行きましょう。

49才の時に母親となる

育ての母親の道子さんは49歳の時に、2人の母親になりました。

この時に道子さんの子供は成人してたので、幼い2人の為に毎朝5時に起き、お腹が空き泣く2人に自分のお乳を吸わせていました。

お乳は出ませんでしたが、それで2人は落ち着いてたそうです。

「当時、自分の子供がすでに成人していた道子さんは、『幼い2人に寂しい思いをさせたくない』と子育てに励みました。毎朝5時に目を覚まして『おなかが空いた』と泣く兄弟に、道子さんは右のおっぱいを孝太郎さんに、左のおっぱいを進次郎さんに吸わせていた。お乳は出なかったけど、幼い兄弟はそれで落ち着いたんです」(小泉家近隣住民)

引用:NEWSポストセブン

幼少期の小泉進次郎さんは体が弱かったので、夜中に高熱が出る事も多く、その度に道子さんは病院に連れて行っていました。

道子さんは

本当に手のかかる子だけど、その分、情が深くなるのよね

引用:女性自身

と言ってたそうです。

小泉孝太郎さん・進次郎さんは純一郎さんの弟の子供など6人兄弟の中で育ちました。

2人は道子さんの事を「ママ」と呼び、幼児の頃には添い寝をし、2人が家に帰ると必ず道子さんがいました。

小泉純一郎さんは道子さんについて

外に出ても、帰ってくれば、ママはうちにいて優しく、温かく、明るく迎えてくれる。これは、孝太郎、進次郎の精神安定に大きく寄与していたと思っております。

引用:PRESIDENT Online

と感謝していました。

育ての母親を困らせた事も

道子さんは授業参観や遠足に積極的に参加し、小泉進次郎さんは実の母親と信じていました。

ただ、小学校の頃の小泉進次郎さんは道子さんに

ママはどうして他のママの様に若くないの?

と言って泣いてしまった事があり、道子さんはかなり困ったそうです。

小泉純一郎さんの弟の正也さんは道子さんについて、「2人に惜しみない愛情を注ぎ、本当の母親の様な存在」だったと話されています。

一番上の姉(道子さん)はよくやっていたと思う。孝太郎と進次郎に惜しみない愛情を注いでいた。進次郎にとっても本当の母親のような存在だと思いますよ。中学2年の進次郎が、実の母じゃないって兄(純一郎氏)から聞かされて知った時、進次郎は“本当の母親だよ”と言ったけど、それはそうなるでしょう

引用:デイリー新潮

中学2年時に実の母親でない事を打ち明ける

お別れ会で、小泉純一郎さんから道子さんが孝太郎さん・進次郎さんに実の母親でない事を打ち明けた際の話を弔辞でされています。

小泉孝太郎さんが高校2年・進次郎さんが中学2年の時に純一郎さんが「ママは私の妹なんだ」と打ち明けて、進次郎さんは「ウソ……」とショックを受けていました。

ただ、小泉進次郎さんは「本当の母親だよ」と言い純一郎さんは母親の代わりとしてではなく、本当の母親として育ててくれた事に感謝したそうです。

小泉孝太郎さんは実の母親でない事を知っていましたが、進次郎さんにその事を伝えなかったそうです。

休みの日に出かける際には、常に家族が一緒で、その中心的に支えてくれてたのが道子さんでした。

道子さんにとって、小泉孝太郎・進次郎さんの成長は何よりの生きがいで、2人がテレビ・雑誌などで活躍してる姿を見る事をかなり楽しみにしていました。

小泉進次郎さんは国会議員になった際には、道子さんはかなり嬉しそうな顔をしてたとか。

「だから進次郎くんが国会議員になったとき、彼女はとても嬉しいそうな顔をしていました。その表情は、今でも忘れられません」(前出・主婦)

引用:女性自身

こちらが、弔辞の文になります。

いつか、本当のことを孝太郎、進次郎に言わなければいけないと思っておりましたが、なかなか言えずにおりました。孝太郎が高校2年生、進次郎が中学2年生になって、2人を呼んで本当のことを伝えました。「ママは私の姉なんだ」と言ったら、進次郎は「ウソ…」と言いました。

「いや、本当だ、孝太郎、知ってたか?」と聞くと、「知ってたよ」「進次郎に言わなかったのか?」「言わなかった」。

ああそうか、高校2年生だけど、言ったほうがいいこと、言わないほうがいいこと、わかっていたんだ。いい子に育ってくれたな、と思いました

「進次郎、ママは母親じゃないんだよ」と言うと、(進次郎は)「本当の母親だよ」とはっきりと言いました。道子は母親代わりじゃない、実の母親として、孝太郎、進次郎を育ててくれたんだな、と思いました。改めて、感謝しています

晩年になって、本人たちはもう手をかけなくてもいい、放っておいても大丈夫だと思っているようでしたが、故人にとっては孝太郎、進次郎が健やかに成長しているのが何よりの生きがいだったと思います。われわれ男は留守しがちですが、その中でいつも、帰ってくれば道子がいる。我々の帰りを待って、毎日毎日家におりました。晩年は、孝太郎、進次郎が社会に出て、テレビや新聞で活躍しているのを、大変楽しみにしていたようです

休みのときに出かけるときは、いつも家族一緒に。その中心的支えをしてくれたのが、故人・道子でありました。もちろんいつも近所のかた、お茶をたしなんでいるかたがた、そして、小泉家に携わる多くの皆様の温かいご支援があったからこそ、最後まで、死ぬ直前まで、意識がはっきりと安らかに永遠の眠りについた。大変、代えがたいことだと思っております。泉下で故人も手を合わせて感謝していると思います

引用:NEWSポストセブン

小泉純一郎さんは途中で言葉に詰まり、涙を流す場面がありました。

その際に、側に座ってた小泉孝太郎さんが純一郎さんの手のひらを握りしめてて進次郎さんは悲しい顔で一点を見ていました。

弔辞が終わると小泉孝太郎さん・進次郎さんとも泣いてて、道子さんと最後の別れの瞬間も中々顔を上げる事が出来ませんでした。

弔辞が終わると孝太郎はこらえ切れず大粒の涙をこぼした。進次郎はうつむき、目元を人差し指でそっと拭った。この後、2人は寄り添って祭壇に白いカーネーションを捧げ、頭を下げた。最愛の「ママ」との最後の別れの瞬間、兄弟は、なかなか顔を上げなかった。

育ての母親は小泉進次郎の嫁を見たがってた

2016年9月7日の女性自身にて、育ての母親の道子さんは小泉進次郎さんのお嫁さんを見る事ができないのが唯一の心残りとなりました。

小泉道子
私の残された仕事は、進ちゃんの奥さんの顔を見る事だけね

そんな進次郎を小泉家の跡取りとして立派な政治家に育てあげた道子さん。だが1つだけ心残りがあった。

「進次郎くんのお嫁さんを見られなかったことです。彼女は『私に残された仕事は、進ちゃんのお嫁さんの顔をみることだけね』と漏らしていましたから……」(前出・小泉家関係者)

ママに嫁を見せることが出来なかった……。進次郎が流していたのは、そんな悔悟の涙だったのかもしれない。

ちなみに、2015年4月11日のNEWSポストセブンにて、小泉孝太郎さん・進次郎さんの結婚相手について書かれています。

育ての母親の信子さんは地元の地盤をしっかり守れ、進次郎さんが政治活動中に留守を守り、キチンと子育てを行ってくれる「陰ながらサポートしてくれる控えめな女性」と結婚して欲しいみたいですね。

そして、そのルールを孝太郎さんも守らないといけないので、中々結婚相手を見つける事ができないとの事です。

ちなみに、信子さんは長年小泉純一郎さんの秘書を務めてる方ので、進次郎さんも政治家になった後でも助言を貰ったりしていました。

信子さんは、秘書として純一郎を長年にわたって支えてきました。純一郎は彼女に全幅の信頼を寄せていて、進次郎も政治家になってから信子さんに助言をもらうこともあり、強く出ることはできないんです。

信子さんは、地元の地盤をしっかり守れる人と結婚してほしいと考えています。政治家である夫は全国を飛び回ることになりますから、その留守を守って子育てをしっかりやって、陰ながら夫を支える“控えめな女性”が理想なんです。その小泉家の掟は、孝太郎にとっても守らなければいけないものなんでしょう

長男の名前の由来は道子

2020年1月17日に生まれた小泉進次郎さんの長男さんは道子さんから一字取って、「道之助」さんと言う名前です。

小泉進次郎環境相と妻でフリーアナウンサーの滝川クリステル夫妻は、先月17日に生まれた長男を「道之助」ちゃんと命名した。進次郎氏の育ての親で、父・純一郎元首相の姉、故・道子さんから一字を取ったという。関係者が5日、明らかにした。

引用:サンスポ

2024年9月12日の所見発表演説会にて、弟の宮本佳長さんとは仲深めて行くものの、道子さんを裏切る気がして、実の母親の宮本佳代子さんに会う気になれなかった事を話しています。

ただ、2024年になってから宮本佳代子さんと会ったそうで、「会って良かった」と思ったとか。

それでも私を産んでくれた母には会う気になれなかった。会ったら母親代わりとして、育ててくれた伯母を裏切ることになると思った

小泉氏はフリーアナウンサーの滝川クリステルさんと結婚し、令和2年1月に長男、道之助くんが生まれた。小泉氏は「そんな思いに変化が生まれたきっかけは、私自身が子供を持つ親になったことだ。今年初めて母に会いに行った。詳しくは控えるが、会って良かった

引用:産経新聞

以上が、育ての母親の道子さんに関する記事でした。

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