金澤結衣(ゆい)さんですが、神奈川県相模原生まれで、3歳の時からクラシックバレエを習っています。
出身高校は、神奈川県立麻溝台出身です。
高校時代は、バレエだけでなく、ストリートダンス・バンド活動もされていました。
学生時代にミトコンドリアが好きになった事で、上智大学の理工学部 物質生命学科に入ります。
大学卒業後は、江崎グリコに就職し、ポッキー開発などに携わりました。
2013年~2019年まで大阪に勤務してのをきっかけに、2019年に東京の維新塾の1期生になり、政治の道を進みます。
当記事では、そんな金澤ゆいさんについて書きました。
金澤ゆいさんの家族に関する記事はこちらです。
金澤ゆいのwiki風プロフィールは?
引用:X
まずは、金澤ゆいさんのwiki風プロフィールですが
- 生年月日:1990年10月23日
- 神奈川県相模原市生まれ
- 趣味:クラシックバレエ、ストリートダンス、読書、音楽、アニメ、漫画、ゲーム、神社仏閣巡り、アート、スイーツ、美容、ファッション、生物化学
金澤ゆいさんの座右の銘は「不易流行」です。
こちらの座右の銘は「今までの伝統はキチンと残しつつ、今の時代に合わせたものも大事にしていこう」と言う考え方によるものです。
金澤ゆいのwiki風経歴は?
引用:X
続いて、金澤ゆいさんの経歴を見て行きましょう。
幼少期・小学校時代
金澤ゆいさんは、3歳の時からクラッシックバレエを習っています。
小学校時代は、合唱コンクールで指揮者などリーダーをしてる事が多かったそうです。
さらに、読書好きであり、外で友達と遊ぶのも好きな子供でした。
ただ、野球などのスポーツは苦手でした。
中学・高校時代
中学時代は、副生徒会長を務めています。
高校時代は、体育祭の副団長を務めています。
出身高校は、神奈川県立麻溝台(あさみぞだい)出身です。
部活でストリートダンスをやり、その後夜にバレエを習いに行っていましたが、メインはバレエでした。
さらに、たまにバンド活動もされていました。
この様にバレエ以外の活動をしてたのは
バレエ一本で行く場合、高校で留学をしないとプロで生きていくのは厳しくて、進路を決める際に金澤ゆいさんは高校生活を日本で色々やって行きたいと言う思いがあり、その時点でバレエで生きて行く道は諦めたので、バレエ以外の活動をされていました。
ちなみに、麻溝台高校は
相相模原市の公立高校で、偏差値は2024年時点で58です。
この高校のダンス部の実績は、以下の感じで、中々の強豪です。
●2021年度の実績
・第30回神奈川県高等学校ダンスコンクール13位(66校中)
・さがみはらフェスタ高校生ダンス部選手権 準優勝
・music days ファイナル進出
・K-popカバーダンス大会 本選出場引用:麻溝台高校
そして、部員数は2022年7月時点で1年 26人・2年 25人とかなり多いです。
大学時代
金澤ゆいさんは、2013年3月に上智大学 理工学部 物質生命工学科を卒業されています。
ミトコンドリアが好きで、脳神経の研究を行っていました。
元々、金澤ゆいさんは、中学・高校時代から理系分野が好きで、「生物の起源や細胞」などのジャンルにわくわくしてたそうで、この学部に進学してたくて入学をされています。
さらに、人が生きる為にミトコンドリアが不可欠である事を知り、ミトコンドリアを好きになります。
ちなみに、金澤ゆいさんの大学合格への方法は「その日の内にその日の授業の勉強内容を理解し、分からない事があれば、その日の内に先生に聞く」を繰り返す事だそうです。
大学時代は、ブレイクダンスをされて「G-splash」と言うサークルに所属していました。
サークルも全力でされてて、土日などは朝8時から夜8時までの練習や深夜練もされていました。
さらに、サークル自体もかなり本気でやってる部で、最初は100人近く入るけど、3年後には20~30人程しか残らないレベルでした。
ハウスダンスと言うクラブミュージックに合わせて踊り、素早い動きが特徴の踊りも、少しだけやっていました。
そして、文化祭などで振り付けをしたり、ダンスバトルに参加されたりもしていました。
ちなみに、金澤ゆいさんは、バレエはストレス発散・体型維持の為に現在も続けていますが、ブレイクダンスは練習量と筋肉が結構いるので続けていないそうです。
大学時代の画像は?
こちら大学時代の金澤ゆいさんです。
引用:金澤ゆい ブログ
やはり、大学時代からかわいい方なんですね。
江崎グリコに就職
大学卒業後は江崎グリコに就職し、ポッキー・キャラクターコラボのマーケティングを行ってて、この時は大阪で勤務されています。
商品戦略からコンセプト・デザイン・味作り・プロモーションを行います。
入社した最初マーケティング部に配属されます。
マーケティング部署は優秀な人達が多く、入社して半年程は苦労の連続で、夜遅くから土日まで働き詰めでした。
そのお陰で、全社で2人しか受からない特別プロジェクトのメンバーに選ばれています。
入社して最初の1年半は、キャラクター商品の担当で、ディズニーや任天堂やサンリオなどとのコラボ商品を作っていました。
入社2年目には、ブランディングをもっと学ぶ為、人事とマーケティング本部長に自己プレゼンを行い、ポッキーチームの最年少メンバーになります。
このチームはさらに優秀なメンバーが集まってて、さらにブランド力を壊さない為の制約も多くあり、苦戦をされたそうです。
異動して最初に苦戦したのは「抹茶ポッキー」で、毎日抹茶の事を考えてたので、好きな抹茶を嫌いになりそうになっていました。
ただ、先輩からの「制約も楽しむくらいの気持ちでやれ」と言うアドバイスで制約が苦ではなくなりました。
と言った感じなので、金澤ゆいさんは、ポッキーについてのほぼ全てを知ってるレベルです。
そして、ポッキー作りの際は、「1本や1袋で満足したら、次を買ってくれないので、もう1本・もう1箱食べたいと思うような工夫を行ってた」そうですが、詳しくは企業秘密だそうです。
さらに、出版をされたり、数百人の前で講演をしてた事もあります。
この会社に就職したのは
大学時代に研究をずっとしてたので、研究がお腹いっぱいになってしまい、研究職に進まず、PDCAサイクルと言う思考を上手く使える所でやろうと思った時に、マーケティングは戦略は統計学を使い、味作りは理系しかできない仕事なので、「面白そう」と思い、数少ないコース別採用でマーケティングのコースでの採用が決まったので、ここに就職されました。
さらに、金澤ゆいさんは起業する事が夢で、その為に手に職をつけたいと思っていました。
グリコでの代表企画は?
2020年9月11日のブログで、金澤ゆいさんのポッキーチームでのお気に入りの企画を紹介されています。
- 「アーモンドクラッシュポッキー」と「つぶつぶいちごポッキー」の大幅なリニューアルを担当し、さらにこの商品で千鳥さんとの企画も行う
- 「午後の紅茶」とのコラボレーションを5年程行う
- スプラトゥーンの「ポッキーフェス」
さらに、ポッキーブランドを使用し初店舗を出した「ギフトポッキー」は、企画から実行まで約2年程掛かり、100人以上の人達が関わる企画のリーダーを金澤ゆいさんが務めました。
維新塾に入る
2019年末から江崎グリコの東京に勤務になります。
大阪では約7年程勤務されていました。
ちなみに、こちらは、東京勤務が決まった際に、グリコの大阪の人達が行ってくれた送別会の時のものです。
引用:金澤ゆい ブログ
元々女性のキャリア支援をブランディングでしてたので、子供を産みキャリアを諦めた女性のブランディングを行い、その人が副業で生計を立てる事が出来る様にするビジネスをしようと考えていました。
その事を考えた時に、自分一人でやっても女性の雇用の問題などは解説しないと思い、「日本全体で変えるならどんな方法があるだろう?」と考えた時に政治と言う選択肢に気付き、20代最後の年に政治に挑戦する事を決めます。
さらに、東京の維新塾の1期生の募集も重なったので、2019年に1期生になります。
金澤ゆいさんは、2013年~2019年まで大阪に勤務されてて、維新の会が大阪の街を良くして行ってる姿を目の当たりにしたので、維新塾に入る事を決めました。
金澤ゆいさんは、維新塾に送る書類を12月25日にポストに入れた時の事は今でも覚えてるそうです。
初の衆議院選で落選
その後、2020年に7年半勤務した江崎グリコを退職し、2020年に東京15区支部長に就任します。
2021年10月に初の衆議院選挙で44882票を獲得するも、1.9%足りずに落選されます。
この負けはかなり悔しく、「地元の人から多くの票を貰い、なんで応えられない自分がなんて力不足なんだ」と思ったそうです。
もう一回サラリーマンをやるかどうか?で迷うも、地元の声に応えたい気持ちが強く、選挙にリベンジをする事を決めます。
以上が、金澤ゆいさんに関する記事ですね。
酒井菜摘さんの学歴についてはこちらでまとめました。
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