石破茂の嫁(妻)は佳子の若い頃の画像は?
石破茂さんの妻の佳子さんの若い頃の画像ですが
こちらは大学時代で
こちらは、1986年石破茂さんが衆議院初当選時です。
こちらは、2012年12月時の佳子さんです。
佳子さんは若い頃から非常に綺麗な人である事が分かりますね。
石破茂の妻・佳子の学歴は?
そんな石破茂さんの妻の佳子さんですが、東京都出身で幼稚園から大学まで東京の学校に通っています。
中学・高校は女子学院に通い、大学は慶應義塾の法学部法律学科に通っていました。
そんな石破佳子さんですが、大学時代は人気者でモテてたそうです。
ちなみに、石破茂さんはモテなかったそうです。
彼女はものすごい美人で人気者。モテましたよ。一方の石破はモテなかった(笑)。
引用:FLASH
妻の石破佳子の若い頃|石橋茂との馴れ初めは?
そんな石破茂さんと妻の佳子さんとの馴れ初めですが、2018年9月5日の女性自身のインタビューにて、妻の佳子さんは
本当は“忘れました”と言いたいんですけど、しっかり覚えています(笑)。私と夫は大学の同級生で、出会いは校内でした
とコメントされています。
では、そんな石破茂さんと妻の佳子さんとの馴れ初めについて見て行きましょう。
慶應大学の同級生
妻の石破佳子さんは1975年に慶應義塾大学 法学部法律学科に入学しています。
大学1年生時に第2外国語で2人ともドイツ語を選択し、一緒の授業を受けた事で出会います。
とは言え、この時に2人は会話はしませんでした。
石破茂さんは大学1年の4月頃に佳子さんが図書館から本を小脇に抱え階段を降りてくる姿を見て
と一目惚れしていました。
その後、大学2年の後期試験前に、石破茂さんは当時学期末試験対策の勉強会サークル「石破のヤマかけ講座」をやってて、友達に誘われて佳子さんは友人と一緒に参加します。
この山掛け講座は、妻の佳子さんの気を引きたい一心で行ってたものだそうです。
そこで石破茂さんは試験問題を予想し、模範解答も教えてくれて、その時に初めて2人は話すも、石破茂さんの第一印象は良くありませんでした。
当時について妻の佳子さんは
“キミは女子学院出身でしょ? うちの姉もあの学校出身だからね~”と、何か意味ありげなしゃべり方をされたので、あまり第一印象がよくなかったことを覚えています(笑)
ちなみに、石破茂さんは姉と佳子さんの出身校が一緒である事を知り、それをきっかけにしようとずっと考えていました。
とは言え、この事で2人は段々と会話をし始めて、学校帰りにお茶や週末にドライブに行く程仲良くなりました。
ただ、この時には石破茂さんはアプローチをしていましたが、友人として付かず離れずの関係で付き合うまでは行きませんでした。
当時の石破茂さんについて妻の佳子さんは他の男子とは違い常にシャツにネクタイ・ジャケットを着てて、真面目そうな人と思ってたそうです。
さらに、石破茂さんは勉強会で全員分のドーナツを用意するなどみんなに親切な人なので人気者でした。
夫は他の男子生徒とは一風違う雰囲気がありました。当時、ジーンズや『アイビールック』ファッションが流行っていたのですが、彼はいつもきちんとシャツにネクタイ、ジャケットを着ていて、真面目そうなかただと思いました。
よく覚えているのが、勉強会でわざわざみんなの分のドーナツを用意していたこと。男女問わず親切でしたから、人気者だったようですよ
引用:NEWSポストセブン
大学卒業当日にプロポーズをするもフラれる
大学の卒業当日の謝恩会で石破茂さんは満を持して「結婚を前提に付き合ってください」と告白するも、妻の佳子さんからはフラれてしまいます。
その理由は
元々、石破茂さんの夢は学者か弁護士で、当時は銀行への就職が決まってて、告白時に「学者や弁護士を目指してたけど、君との結婚の為に安定した道を選ぶよ」と言いたそうな雰囲気を感じ
当時は女性が社会に出るのは大変で、就職は一般職しかなく、男性はどんな事にも挑戦ができて羨ましく、「結婚する為に、夢を諦めるのは、やめてほしい」という気持ちで断っています。
当時、夫は司法試験を受けて弁護士になりたいなど、夢をいっぱい語っていました。それが私と結婚したいから夢を諦めて就職するというのは違うんじゃない? という話をしましたね
引用:女性自身
フラれた時の言葉について、石破茂さんは2020年11月10日のたかまつななさんのYoutubeチャンネルにて
あなたは弁護士になるとか言って法律学科に入ったんでしょ。
なんかとても無理そうだからっていうんで、今後は大学に残るとか言って、「1期上で天才がいるから自分は慶應に残れない」とか言って辞めたんでしょ。
私と結婚したいから安定した職場がいいとか言って、三井銀行にしたんですよね。
そういう風に人生の目標がコロコロ変わる人は私は嫌いです。
石橋茂さんはプロポーズをあっさりと断られたので、生きる希望を失ってたそうです。
それと同時に、「私はなんの為に三井銀行なんて入るんだろうな」とも思っていました。
父親・石破二朗が亡くなった事により再開
その後、2人は音信不通になりますが、約3年後の1981年9月に石破茂さんの父親・二朗さんが亡くなった事を、佳子さんの母親が新聞で知り教えてくれました。
そして、友達と連名で香典を送り、お礼の電話があった事で、再び交流を始めます。
再び交流をしたきっかけについて、妻の佳子さんは
駆け出しの銀行員だった彼は、『定期預金口座の新規開設』の営業ノルマがあったようなんです。それで私に“口座を作ってもらえないか”と連絡がきて、ランチをしました。今思い返せば、口実だったのかもしれません(笑い)。でも、学生時代から頼りになる人だったので、そうして会って仕事の悩みを話すうちに、打ち解けていきました
引用:NEWSポストセブン
その後2人は、互いの勤務地が東京・日本橋と竹橋で近い事が分かり、会社の近くで一緒にランチやデートをする様になります。
ちなみに、佳子さんは石破茂さんと再開前に両親に勧められ見合いを3度してて、2人で食事をした時にお見合い相手の話もしてたそうですよ。
そんな石破茂さんですが
- 常に自転車を飛ばして佳子さんに会いに来る
- ドライブデートの前の晩に佳子さんの好きな歌が海を走ってる際に流れる様に時間を計算しテープを編集する
など当時から佳子さんにかなりぞっこんでした。
結婚は佳子の父親が背中を押す
その後交際を続け、ある日石破茂さんが選挙の為に銀行を辞める事になり、すぐに石破茂さんから電話で「突然の事なので、結婚をやめたければやめてくれてもいいよ」と言われ、凄く悩んでた佳子さんは父親に相談すると
と言われた事で、石破茂さんとの結婚を決めました。
「青天の霹靂でした。新聞に選挙の候補者として夫の名前が挙がり、銀行を辞めることになったんです。すぐに夫から説明の電話がありました。『そういうことになったけど、突然のことだし、結婚の話はやめたければやめてくれてもいいよ』と言われ…。政治のことはまるで知らなかったので、本当に悩みました」
結婚すべきか、やめるべきか。悩む佳子さんに父親がこうアドバイスしたという。
「君は、結婚相手を『職業』で選ぶのか、『人物』で選ぶのか」
その一言で、佳子さんの気持ちは決まった。
引用:NEWSポストセブン
結婚式には田中角栄も出席
1983年9月に結婚し、東京・赤坂のホテルニューオータニで結婚式を行います。
式に出席した田中角栄さんは当時佳子さんが勤めてた会社が絡んだロッキード事件で窮地に立ってて、田中角栄さんは「いい会社だよ。わしのことがなければ、もっといい会社だ」とスピーチーをし、盛り上げました。
以上が、石破茂さんの妻の佳子さんの学歴や若い頃に関する記事でした。
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