猪口邦子さんの父親は横田偉一さんです。
父親は、一橋大学卒業後に東京海上火災保険に勤務し、1960年年代に初期のサンパウロ支店長を務めて、その後には日本損害保険代理業協会専務理事を務めています。
さらに、祖父は横田昇一さんで実業家です。
祖父は雑誌「蓄音器世界」を発刊し、著作権制度の保護に努めました。
当記事では、猪口邦子さんの父親・祖父などについて書きました。
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猪口邦子の父親・偉一の経歴や学歴は?
猪口邦子さんの父親は横田偉一さんです。
さらに、2014年1月1日のXにて、2014年8月に父親が90歳になる事が書かれています。
父親は一橋大学卒業後に東京海上火災保険(現、東京海上日動火災)に勤務し、1960年年代に初期のサンパウロ支店長を務めました。
猪口邦子さんが10歳の時に突然サンパウロに行く事になり、家族5人で行きました。
英語の学校で苦労してた猪口邦子さんに父親はイギリスにはジョーン・ロビンソンさんと言う女性経済学者がいる事を何度も行って来てたそうです。
さらに、当時の父親の家の机の上には、二宮尊徳さんの本を読む像と「努力」という字を彫った置物がいつもありました。
この時に日本はちょうど高度成長期で、ブラジルは鉄鉱石・綿などの天然資源が豊富だったので、その貿易を支える保険の整備も急務だったので、父も一企業人ではなく国策を担う意識が強かったそうです。
サンパウロには5年間勤務し、欧州経由で東京に帰国しています。
さらに、父親はその後も日本損害保険代理業協会専務理事を務めるなど損保業界に残りました。
父親は本を書くと喜ぶ人
2018年3月特別号の「文藝春秋」では、この冬に父親が骨折で入院した事が書かれています。
その際に、弱ってる父親に対し、猪口邦子さんが思わず「本を書くから」と言うと、父親はかなり嬉しそうに「そうか本を書く、凄いね」と喜んでたそうです。
父親にずっと付き添ってる末の妹さんが「おじいちゃんがこんな嬉しそうな顔をしたのは初めてよ」と猪口邦子さんに言ったそうです。
ただ、猪口邦子さんはこの言葉が父親を何より元気にする事を知ってたそうです。
母親とは仲良し
下のXの投稿により、母親は2022年6月に亡くなった可能性があります。
猪口邦子さんは幼少期は母親のそばのちゃぶ台で勉強をしてたそうです。
大人になってからも母親に「ありがとう」と電話したり、母親の手作りのおせちを食べに行くなど母親と良好な関係である事が分かりますね。
猪口邦子の祖父は実業家
祖父は横田昇一さんは実業家で雑誌「蓄音器世界」を発刊し、著作権制度の保護に努めました。
2010年10月の金沢畜音器館の記事にて、祖父は政府を動かし、1920年に法改正を実現した事が書かれています。
しかしコピー盤に対抗する一人が出てきた。雑誌「畜音器世界」を発刊する横田昇一である。
彼は政府を動かし、ようやく大正9年に法改正を実現させた。レコード生産額は大正3年を100とすると同9年には、なんと445まで回復したという。
祖父は、岡山県総社(そうじゃ)市出身で、ここは猪口邦子さんの心の宝だそうです。
祖母は葉子で歌人で教師
猪口邦子さんと祖母は葉子さんで、千葉県大多喜町生まれで学校の先生をされてて、歌人をされていました。
歌人としては若山牧水さんの弟子となり、女流同人誌を主宰されています。
千葉県夷隅郡大多喜町立西小学校のサイトにて、祖母の略歴が紹介されていました。
祖母の旧姓は高橋で1889年生まれです。
学歴は、板谷尋常小学校→西畑尋常高等小学校→夷隅女子教員養成所→千葉県女子師範学校を視力低下により中退となります。
師範学校中退後は帰郷して、西畑小学校代用教員として勤務し、西畑短歌会をつくり歌を作りました。
そして、尾上柴舟さん・若山牧水さんの弟子になり、若山牧水さんから「異色ある女流歌人」として賞賛されました。
1923年に横田昇一さんと結婚します。
1925年に「草の実」を創刊
1936年に交通事故で46歳で亡くなりました。
明治23年(1889),現大多喜町市川,高橋家に生まれる。
本名 満ん,初め眉葉,のち葉子と号した。
板谷尋常小学校,西畑尋常高等小学校を卒業。夷隅女子教員養成所を修了,千葉県女子師範学校に入学したが視力低下のため中退。
帰郷して老川,西畑小学校代用教員として奉職。この頃,高橋徹,吉野仁吉,市原蒼生らと「西畑短歌会」をつくり歌の研究に励む。さらに,尾上柴舟,若山牧水に師事。牧水から「異色ある女流歌人」として賞賛される。大正12年,横田昇一と結婚,長男偉一生誕する。
大正14年,女流歌人川上小夜子,長岡とみ子,北見志保子,水町京子,川口千香枝らと歌誌「草の実」を創刊。のち自ら編集発行人となる。一方,「声の文庫の会」を創設し,詩歌人の肉声による記録を後人に伝えようと力を盡くす。
昭和11年,交通事故により死去。多くの人に惜しまれた。享年46歳であった。
ふるさとを愛し,ふるさとを詠んだ歌も多く,本校正門脇にある石碑の歌は,昭和5年版 昭和歌人名鑑 に掲載されたものである。
大多喜町教育委員会 (記念碑より)
祖母の影響で父親は本好きだった
その祖母の影響を受け、父親の偉一さんは「女性は本を読み、書くべき人だ」と思っていました。
猪口邦子さんが字が読める様になったら、会社から帰った父親はよく本を読んでくれました。
読んでくれた本は世界の偉人伝や少年少女の世界文学全集でした。
ちなみに、2019年9月23日のフェイスブックでは、姉妹で祖父母の墓参りに大本山法華経寺に行った事が書かれています。
以上が、猪口邦子さんの父親・祖父などに関する記事ですね。
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