須崎優衣さんの父親の康弘さんはレスリングをされてて、早稲田大学でもレスリング部に所属されていました。
そんな父親の影響で、須崎優衣さんはレスリングを始めています。
小学校1年から中学1年まで父親がコーチを務める松戸ジュニアレスリングクラブで腕を磨きました。
そして、父親は医療コンサルティングを行うデンタルネットで代表取締役を務めていました。
当記事では、須崎優衣さんの父親の情報やエピソードについて書きました。
須崎優衣さんの結婚や彼氏に関する情報やエピソードはこちらです。
須崎優衣の父親は康弘!
引用:スポーツナビ
上の画像が須崎優衣さんの父親の康弘さんです。
読売新聞の2021年8月8日の記事にて、父親は59歳である事が書かれています。
元レスリング選手の父、康弘さん(59)は「負けず嫌いの虫が出て、試合のように向かっていったんでしょう」。
なので、父親の現在は63歳くらいとなりますね。
さらに、父親はレスリングをされていました。
では、続いて、父親の康弘さんの情報を見て行きましょう。
父親はデンタルネットの元代表取締役
父親はデンタルネットの代表取締役を務めていました。
引用:エン天職
この会社は医療コンサルティングをしてる会社で事業内容は
- 財務コンサルティング
- 訪問歯科診療各種ツール作成及び販売
- 訪問歯科診療総合支援ソフト「SOL」
- 訪問歯科診療支援
となります。
ただ、現在は父親はデンタルネットの代表取締役ではありません。
デンタルネットの公式サイトによると
- 代表取締役 小椋啓史
- 専務取締役 栗城拓郎
- 常務取締役 吉田大祐
となってて、代表者・役員にも父親の名前はありませんでした。
デンタルネット創業から拡大まで
デンタルネット創業当時の社長で歯科医の勝野さんと父親がスポーツクラブで知り合い、勝野さんに「独立するから手伝って」と言われ、父親は手伝いました。
当時の父親は銀行員を辞め、財務コンサルティングをされてたので、財務の専門家として資金集めから参加され、資金集めでは出資者5~6人から1000万円を集める事ができました。
会社設立は2000年8月でこの時は他の会社に間借りをされていました。
そして、2001年初めにKFCクリエイティブスタジオに初めて自分達のオフィスを持ち、3年間入居されていました。
その後、関連医療法人の実績を作り、全国の歯科医院にPRして事業計画を立てて、KFCクリエイティブスタジオにいた時は7~8人だった従業員が105人まで増えていました。
従業員数もクリエイテイィブスタジオにいるときは7~8名でしたが、卒業して10年、今年3月末で105名になりました。時代の流れに合っていたのもしれません。
引用:国際ファッションセンター 産業支援ホームページ
早稲田大学レスリング部出身
父親は早稲田大学レスリング部出身です。
そして、2021年8月5日のAthletic Centerの記事にて、父親はOB・OG会「稲門レスリング倶楽部」の役職者な事が書かれています。
早稲田大学レスリング部の公式サイトの2016年度時点では稲門レスリング倶楽部の常任委員長を務めています。
稲門レスリングクラブ常任委員長 須崎 康弘
父親は松戸ジュニアレスリングクラブでコーチを務めています。
松戸ジュニアレスリングクラブは、松戸運動公園体育館で土・日曜日に活動をされています。
そんな父親は、2023年5月21日総会で千葉県レスリング協会の会計監査を2024年度末まで務める事が決まっています。
プロボクサーだった
2021年9月20日のナンバーの記事にて、那須川天心さんに寝技を教えたパラエストラ千葉ネットワークの鶴屋浩さんが現役時代に父親にボクシングの基本を教わった事が書かれています。
父親は大学卒業後にプロボクサーをされていました。
須崎優衣と父親のエピソードは?
引用:スポニチ
上の画像は、2010年4月にジュニアクイーンズカップレスリング選手権大会で小学生の須崎優衣さんのセコンドについてる父親となります。
ではそんな父親と須崎優衣さんとのエピソードを見て行きましょう。
名前を名付ける
須崎優衣さんの名前は父親が名付けています。
と言う思いが込めれています。
幼少期のエピソードは?
父親と須崎優衣さんは、小さい時から一緒に大相撲・レスリング・ボクシングのビデオを見ていました。
さらに、須崎優衣さんが1歳の時に1㎏の鉄アレイをプレゼントしました。
父親は「筋肉と笑顔を持ってる人生何とかなる」と言う考えで、自身もそんな人生を歩んで来た為のプレゼントとなります。
さらに、須崎優衣さんが赤ちゃんの時に、アニメの「明日のジョー」「タイガーマスク」のテーマを聞かせて寝かせつけていました。
父親の影響でレスリングを始める
須崎優衣さんは父親の影響で父親がコーチを松戸ジュニアレスリングクラブで小学校1年からレスリングを始めています。
須崎優衣さんは元々吉田沙保里さんに憧れてて、小学校1年時に海水浴に行き、そこに来てたレスリングの先生と須崎優衣さんがレスリングごっこで遊んでた所、バランス感覚が良かったので、「やってみたら」と言われて、父親がレスリングに誘ったそうです。
父親はまずはレスリングを好きになって欲しかったので、叱ったりはせず、積極的な試合をすれば褒めてあげる様にしていました。
さらに、レスリングの練習は週1回で、練習帰りには必ず近所の寿司店に連れて行き、試合に勝てばケーキを買ってあげ、自宅では練習をしない様にし、須崎優衣さんにとってレスリングは楽しいものとしてなって行きました。
ちなみに、教えてないのにタックルは最初からできたそうです。
中学時代に寮に入る際は最初は反対した
須崎優衣さんは中学1年の途中で寄宿制で金メダル候補を育てる日本オリンピック委員会(JOC)の東京都「エリートアカデミー」に編入の誘いがあり、両親は離れたくないと言う想いから反対をしました。
ただ、須崎優衣さんは中学2年時にJOCエリートアカデミーの寮に入り、北区の中学に転校もされています。
須崎優衣さんを編入させた理由について、父親は
「優衣が小学四年生のときの、先生との交換日記のようなものを見た際に、『自分の人生は自分で決める』って書かれてたんですよ。その思いをずっと抱き続けているわけで……。だから、ダメだったら戻って来いよ、という気持ちで送り出しました」
引用:CROSSOVER
ちなみに、寮は1時間程で実家に帰る事が出来ましたが、遠方から来てる人もいたのでその手前、須斉優衣さんは週末は帰って来ずに年3回程帰って来ました。
父親の影響で早稲田大学に進学
須崎優衣さんは祖父・父親共に早稲田大学出身なので、憧れて早稲田大学に入学されています。
早稲田大学のレスリング場には、父親の康弘さんの名札があります。
引用:スポーツナビ
東京オリンピックでのエピソード
東京オリンピックで金メダルを取った時には、試合が終わってから2・3日後に会い
と言ったそうです。
父親は須崎優衣さんの東京オリンピックの試合を2018年に右ひじの靭帯を断裂し全治8週間の大けがをしてるので、試合中に怪我をしないか心配しながら見ていました。
父親は須崎優衣さんにレスリングを「もう辞めない」と言う事はなかったそうですが、一度だけ「もうそんなに頑張らなくていいんだよ」と言った事があるそうです。
ちなみに、父親は須崎優衣さんに対し
優衣に望む親孝行とは、次の納得できる夢を叶えてもらいたいという事と、健康で怪我もなく引退して次の目標に向けて再出発してもらいたい。 人に喜ばれる人になるというような人生を歩んでもらえればと思います。
引用:明日への言葉
と言った事を望んでいます。
2024年5月30日にYoutube「United World Wrestling」にて、須崎優衣さんの実家が登場しています。
2か月前に実家が新居を建てて、引っ越した事を話されています。
それは、父親が須崎優衣さんの金メダルやベルトなどを飾るショーケースを作りたいから引っ越されたそうです。
さらに、須崎優衣さんは神田明神に試合前に来て、お祈りをしてる事が紹介されています。
このルーティンは5年程続けてて、ここは父親の会社が近くて、よくお守りを買って来てくれてたので、そこから行くようになったそうです。
須崎優衣さんの実家は下の動画の11分45秒頃から登場します。
須崎優衣さんの実家はかなりいい家ですよ。
以上が、須崎優衣さんの父親に関する記事ですね。
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