上脇博之さんですが、結婚されています。
妻は同じ年の方で子供は息子さん1人です。
父親は九州電力に勤務してて普段は無口な人でしたが、お酒を飲むと荒れてしまう事があったそうです。
叔父は特攻隊員でした。
ただ、叔父は無事に生還されています。
当記事では、上脇博之さんの家族について書きました。
上脇博之の結婚相手の妻(嫁)は同じ年で子供は息子1人!【家族】
引用:東洋経済オンライン
2024年2月24日の朝日新聞の記事にて
と書かれています。
上脇博之さんの年齢は1958年7月25日生まれの66歳なので、妻は66歳となりますね。
さらに、同記事にて、「お酒を飲むのか?」を聞かれ、アルコールを飲むとお嫁さんに心配されるので、ノンアルコールを飲むようにしてる事が書かれています。
家ではもっぱらノンアルコールビールです。
飲むと、連れ合いが「大丈夫なの?」と心配そうにいうので、じゃあ飲まなくていいかと。
僕はそういうことでは争いません(笑)。
上脇博之の家族|父親は九州電力勤務で兄弟は3人
上脇博之さんは、鹿児島県姶良(あいら)郡隼人町(現、霧島市隼人町)の会社員家庭に生まれました。
兄弟は3人いて、上脇博之さんは次男となります。
父親は九州電力に勤務してて、家族で住んでた社宅のすぐそばに浜之市港があり、桜島を見る事が出来ました。
幼少期は父親の転勤により姶良郡内を何度か転居するも、常に桜島を見る事が出来ました。
上脇博之さんにとっては、1926年生まれで戦中派の父親は一種の反面教師だったそうです。
父親はいつもは無口で労働組合の活動に熱心な人ですが、帰ってお酒を飲むと荒れたそうです。
家には警察の許可を得て猟銃が置いてありました。
そして、ある日に父親は気に食わない事があり、酔って猟銃を持ちだした事があり、少年だった上脇博之さんと母親は家の床下に隠れて、静まるのを待ちました。
この時に、上脇博之さんは「こんな父親にはならない」と思ったのだとか。
叔父は特攻隊員
上脇博之さんが成人し、父親とお酒を飲みようになり、その時に父親の弟の話をしてくれました。
父親の2歳年下の弟(叔父)は特攻隊員でした。
弟は出撃するも、機体の不具合か何かで不時着し、無事生還されました。
その弟は隊内で悲惨な出来事を度々目撃してたそうで
叔父いわく、ある特攻隊員が出撃後に怖くなって帰ってきたそうです。上官がなぜ帰ってきたかと詰問すると、その隊員は仕方なく『機体に整備不良があった』と答えた。すると、それを後ろで聞いていた整備兵が、『嘘を言うな』と怒り、日本刀を抜いて隊員をぶった斬り、そのままゼロ戦に乗って特攻して亡くなったそうです。
戦時下は、いかに非人間的な状況だったのかわかるでしょう。権力が暴走すれば戦争が起きます。そして、国民は否応なく巻き込まれるのです
以上が、上脇博之さんの結婚相手の妻など家族に関する記事ですね。
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