西田篤史さんの家族についてですが、妻はお茶目な方です。
そして、お嫁さんとは仲良しです。
さらに、息子さん修大さんでギターリストとして活躍をされています。
祖父は修一さんで広島県政のドンな方となります。
当記事では、そんな西田篤史さんの家族について書きました。
西田篤史の家族|嫁(妻)はお茶目な人
上の画像は2016年から飼い始めたフレンチ・ブルドッグのミリィーとの画像です。
そんな西田篤史さんのお嫁さんに関する情報は出て来ませんでした。
息子でギターリストの修大さんがXで母親についてつぶやかれてて、息子さんの中学の卒アルに西田篤史さんの妻のミスで「修子」とのりかけたそうです。
西田篤史さんのお嫁さんは中々お茶目な方なのかも?しれませんね。
ちなみに、息子さんはXで「MV良かったよ。俺も両親に紹介できるバンドやりたいわ」のコメントに対し
とのコメントを書かれていました。
嫁(妻)とは仲良し
続いて、西田篤史さんのインスタでのお嫁さんとの仲良し投稿を見て行きましょう。
2024年7月24日の投稿で、友達に貰った肉を家でステーキーを焼いています。
この写真を撮影してて、一緒に食べてるのもお嫁さんの可能性がありますね。
2024年7月8日の投稿で、西田篤史さんの誕生日を祝うケーキーがありました。
こちらのケーキーは妻が用意したのかも?しれませんね。
2022年11月11日の投稿で、久々にデートに行った事を投稿しています。
車の助手席には愛犬が乗っていますが、恐らく後ろにはお嫁さんが乗ってると思われます。
と言った感じで、インスタの投稿から妻の仲良しである事が分かりますね。
西田篤史の息子&娘は?家族の修大はギターリスト
西田篤史さんの息子はギタリストの修大(しゅうだい)さんです。
息子さんは1988年3月24日生まれの36歳で、吉田ヨウヘイgroupの元メンバです。
そして、息子さんの経歴は
君島大空 合奏形態、Songbook Trio、KID FRESINO、中村佳穂、石崎ひゅーい、UA、アイナ・ジ・エンド、絢香といったさまざまなアーティストのライブやレコーディングで活躍。現在の邦楽シーンを支える重要なギタリストの一人として注目を集めている。
引用:LINE6
こちらが、息子さんの動画です。
2023年8月3日のYoutube「Line6Japan」のものです。
西田篤史さんに娘さんがいらっしゃるかどうか?は不明でした。
息子の修大さんは長男なので、子供は修大さん1人なのかも?しれませんね。
長男はギタリストの西田修大。
引用:ウィキペディア
ブログをご覧になった方から、15年程前に西田篤史さんが釣り場に娘さんと一緒に来てた姿を見たと言う情報を頂きました。
その方の情報によりますと、当時娘さんは小学校高学年か中学生くらいだったとの事です。
なので、西田篤史さんには娘さんがいる可能性があります。
15年かもう少し前に、庄原にあるフィッシャーリゾート庄原と言う管理釣り場で、西田さんが娘さんを連れて釣りに来られたのに遭遇しました。なので、娘さんはいらっしゃると思うので西田篤史 再婚って言うのを目にするんで、もしかしたら再婚前の奥さんと暮らして居られる可能性もあるのでは•••当時小学校高学年か中学生の様にお見受けしました。
Xで息子についてつぶやく
西田篤史さんはXにて、息子さんについて度々つぶやかれています。
息子さんの音楽の仕事を応援してる様子が分かりますね。
西田篤史の誕生日パーティーで息子と共演
2016年7月6日に広島市で開催された西田篤史さんの60歳の誕生日パーティー「Red Year Party」にて、息子さんと親子共演をしています。
そして、その横、白シャツの好青年、ギタリスト西田修大、そうです、篤史さんの息子さんです!!初の親子共演、そりゃウルっと来ます。
引用:アメブロ
西田篤史の家族|祖父は修一で政治家!
そんな西田篤史さんですが、広島県で複数の飲食店を経営する「鮮コーポーレーション」の代表取締役会長の西田昌司さんがはとこです。
さらに、はとこの西田昌史さんのブログによりますと、西田篤史さんの祖父は修一さんで、広島県政のドンで広島県の田中角栄さんの様な人だとか。
それはともかく、あっちゃんのおじいさんは「西田修一」と言います。60才以上の人なら、たいていご存じだと思います。
まだ、庄原市が比婆郡庄原町だったころ、町会議員から町長になり、庄原選出の県議会議員になり、広島県議会の議長を務め、全国都道府県議会議長会の会長まで務めあげた人です。
祖父は広島県庄原市の名誉市民です。
庄原市の名誉市民とは
庄原市民又は庄原市に縁故の深い者で、庄原市の発展、公共の福祉の増進又は広く社会及び文化の進展に貢献し、市民から深く尊敬されている方に、「庄原市名誉市民」の称号を贈ります。
そんな祖父の経歴は
明治34年6月15日生まれ
昭和17年に庄原町議に初当選後,昭和24年には庄原町長,昭和26年からは広島県議会議員
として,通算36年もの長い間地方政界で活躍された。
その間,広島県議会議長,全国都道府県議会議長会会長等の要職に就かれ,地方及び
地方議会発展に尽力された。
特に,昭和42年には広島県内陸部開発協議会の設立を提唱され,自ら会長に就任して
南厚北薄の県政の是正や,内陸部が抱えている深刻な過疎問題の解消に心血を注がれた。
昭和53年12月19日,77歳で逝去。引用:庄原市
さらに、はとこの方のブログによりますと、西田篤史さんの実家はお金持ちで商売をしてたとの事です。
当時の私は、親戚に対する気おくれ、劣等感がありました。あっちゃんの家は言ってみれば「お金持ち」の家。父の兄弟も商売をしていて、我が家より、ずっと「お金持ち」でした。
以上が、西田篤史さんの家族に関する記事ですね。
コメント
コメント一覧 (1件)
15年かもう少し前に、庄原にあるフィッシャーリゾート庄原と言う管理釣り場で、西田さんが娘さんを連れて釣りに来られたのに遭遇しました。なので、娘さんはいらっしゃると思うので西田篤史 再婚って言うのを目にするんで、もしかしたら再婚前の奥さんと暮らして居られる可能性もあるのでは•••当時小学校高学年か中学生の様にお見受けしました。