西田敏行さんの妻は寿子さんで年齢は4歳年下です。
西田敏行さんと同じく劇団青年座出身で、奥さんが研究生として入って来た時に一目惚れをし、猛アプローチを末に交際がスタートしました。
その後、2人は妻のアパートで同棲を始め、それと同時にお嫁さんは青年座を辞めて、西田敏行さんのサポートに徹します。
奥さんとは1974年8月に結婚するも、お金がなく新婚旅行にも行けませんでした。
当記事では、そんなお嫁さんについて書きました。
娘さん・お孫さんに関する記事はこちらです。
西田敏行の妻(嫁・奥さん)は元女優の寿子で青年座で出会う!
西田敏行さんは1974年8月に結婚をしています。
お嫁さんは大分県別府市出身の寿子(としこ)さんです。
妻は思春期の頃に、温泉街の健創が嫌だったそうです。
浴衣に下駄で歩く大人達を嫌に思えた時期がありました。
その為、奥さんは今でも温泉は好きではないそうです。
妻は4歳年下で劇団「青年座」の研究生で、西田敏行さんも所属していました。
西田敏行さんは1947年11月4日生まれの76歳なので、お嫁さんの年齢は72歳くらいとなります。
そして、こちらが妻の画像です。
嫁(妻・奥さん)との馴れ初めは青年座
西田敏行さんは1968年から同劇団に所属してて、そこに1971年に研究生として妻が入って来て、西田敏行さんが一目惚れし、猛アプローチの末に交際がスタートしました。
当時は、妻は20歳で西田敏行さんは24歳でした。
当時、妻の実家の父親が病気で入院をし、看病の為に実家に帰ってた時に、西田敏行さんは毎日午前と午後にラブレターを出していました。
ただ、結婚後に夫婦喧嘩になったら、この溜まったラブレターを西田敏行さんに突き付けて、奥さんは
と言われるそうです。
西田敏行さん曰く、妻は「ちょっと粗暴な所がある」人だそうです。
自分の夢を諦め、西田敏行をサポート
交際して数か月後にはお嫁さんとの同棲を始めます。
西田敏行さんは奥さんの4畳半のアパートに転がり込む形なりました。
当時の奥さんは「女優なので鏡台は必要だけど、他はいらない」と言う考えで、部屋にはひびの入っ鏡台が置いてあるのみでした。
西田敏行さんは妻のこの考え方には心を打たれたそうです。
それにより奥さんは劇団を辞めて、西田敏行さんをサポートに徹します。
奥さんは、西田敏行さんが役者として売れない時期には、喫茶店・ブティック・スナックなどアルバイトをいくつも掛け持ちをしてる時もありました。
結婚後もお金はなく、新婚旅行に行く事もできませんでした。
ちなみに、結婚後は奥さんが借りてたアパートから世田谷区の家賃3万5千円 2Kのアパートに引っ越し、その1年後の1977年10月には世田谷に4000万円のマイホームを買っています。
女性自身の2019年10月31日の記事にて
「2人の子宝に恵まれ、仕事も軌道に乗り出したころ、西田さんは寿子さんに『育児が一段落したら女優に戻ってもいいんだよ』と言いました。しかし、彼女はその申し出をきっぱりと断ったそうです。西田さんの役者としての才能にほれ込んでいた寿子さんは、自分の夢を捨ててでも支える覚悟をしていたようです。彼女が『夫は生涯現役』と答えた陰には、『夫にはずっと役者を続けていてほしい』という願いがあるのでしょう」(前出・知人)
お嫁さんは西田敏行さんの役者の才能に惚れ込み、自分の女優の夢を捨て、西田敏行さんのサポートに徹してる事が書かれています。
さらに、同記事で妻がインタビューを受け、西田敏行さんの引退説については完全否定をしていました。
そんなことはまったくないですよ。大丈夫。主人は、死ぬまできっと現役です。お仕事さえいただければ、続けていきたいと思っているんじゃないかしら
私も主人がずっと仕事を続けるのを、応援していますから
同記事では、西田敏行さんが「探偵ナイトスクープ」の局長を降板した理由について「これまで苦労を掛けた奥さんとの時間を大切にしたい」と言う想いもあるのでは?と書かれています。
西田が降板した背景には、45年間寄り添い続けてくれた“妻への感謝”もあったという。
「西田さんはナイトスクープを降板したことで、今まで以上に時間の余裕ができることでしょう。まだ現役とはいえ、西田さんも70歳を超えています。『これからは苦労をかけてきた寿子さんとの時間を大切にしたい』という思いもあるのかもしれませんね」(前出・知人)
個人事務所の社長を務める
2024年10月10日の女性自身では、お嫁さんは西田敏行さんの個人事務所の社長を務めてる事が書かれています。
さらに、西田敏行さんは近年体調があまり良い事も書かれています。
ただ、そんな状態でも、ドラマ・映画には出演を続けてて、それは元役者の奥さんの「仕事が西田敏行さんの最大の良薬になる」と言う考えがあるからでは?とも書かれています。
「西田さんは所属事務所とは別に個人事務所を持っており、4歳年下の奥さんが個人事務所の社長を務めています。
満身創痍になりながらもドラマや映画への出演を続けていますが、これには社長である奥さんの意向も強く関わっているようです」(前出・テレビ局関係者)
「奥さんもかつては女優だっただけに、役者にとって撮影現場は生きがいであることをよく理解しているのでしょう。それに人気商売ですから、仕事のオファーは精神的な安心感にもつながります。奥さんは、仕事が西田さんの“最大の良薬になると考えているのでしょう」
同記事では、2019年に車いすに乗る西田敏行さんをサポートする妻の画像も掲載されていました。
嫁(妻・奥さん)はお釈迦様の様な人
西田敏行さんは徹子の部屋で奥さんの話をされた事があります。
2016年1月31日に西田敏行さんは自宅ベッドから転落し頸椎亜脱臼になった事があります。
その時に、奥さんを呼びましたが、妻は晩酌をしてたので
と言われるも、西田敏行さんの家のそばに住んでるスタッフはお酒を飲んでいなかったので、その人に病院に連れて行って貰いました。
西田敏行さんは妻について
と話されています。
西田敏行さんは奥さんとは自身の作品を一緒に見る事はまずなく、自身の部屋で一人で見ています。
ただ、西田敏行さんは自分の作品の感想を妻に聞きたいので、傍によっても中々意見を言ってくれず、忘れた頃に感想を言ってくれるそうです。
心筋梗塞で家族のありがたみを知る
日刊スポーツの2011年6月12日のインタビューにて、それまではかなりのベビースモーカーでしたが、2003年に心筋梗塞になった事で命の危機が分かり、タバコをやめた話をしています。
この時にICUで戻った時には、娘さん2人と妻が手を握ってて、家族のありがたみを知りました。
「たばこはやめました。1日100本近くショートホープを吸ってました。今思えば、心筋梗塞になりますよね。それまでは『おれは絶対、死ぬなんてことはありえない』とどこかで思ったんですけど、心筋梗塞になって初めて『寿命はあるし、ちゃんと死ぬんだ』と教わりました。ICUで意識が戻ったときに、娘2人と女房が手を握ってました。これを見た時に『家族ってありがたいな』とつくづく思いました」。
その後、夜に酔って帰って来た西田敏行さんを出迎えたお嫁さんに玄関先で20分程説教をされ、中々家に入れて貰えませんでした。
その際に妻に
本当に、あなただけの命じゃないんだから
と切実に言われました。
1カ月ほど前、西田が夜に酔って帰ってきた際、出迎えた妻がこんこんと説教した。「玄関先でずっと20分ぐらい説教されて、もう、中に入れないんですよ。『本当に、あなただけの命じゃないんだから』と切々と言われて。その時、ちょっと調子こいて『断酒します』とか言っちゃったんですけど、今、ものすごくビール飲みたいんですね(笑い)。今、節電とかうたわれてますから、もう、ビールぐらい飲まないとやってられないですよ(笑い)」。妻の説教を素直に聞けたのは、家族のありがたみを痛感する同映画に出演したことも大きかったという。
以上が、西田敏行さんの妻に関する記事ですね。
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