小泉進次郎さんの学歴は、小学校から大学までエスカレーター式で進学されています。
小さい時には習い事は全部兄の小泉孝太郎さんのマネをされていました。
小学校2年時からソフトボールを習い始め、中学・高校では野球部に所属していました。
高校時代は野球漬けの日々で、ポジションはセカンドを守り、3年時には副キャプテンを務めています。
そんな小泉進次郎さんですが、高校時代は一途に彼女の事が好きだった為に、キスプリが流出してしまう事がありました。
高校時代の彼女は押切もえさん似で少し派手な方でした。
校内でも有名なラブラブカップルだったとか。
当記事では、小泉進次郎さんの学歴について書きました。
大学・大学院時代についてはこちらです。
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文春砲や不倫疑惑についてはこちらです。
小泉進次郎の学歴まとめ
小泉進次郎さんの学歴ですが
関東学院六浦は、神奈川県横浜市金沢区六浦東にある学校で、関東学院の系列校です。
小泉進次郎さんは小学校から大学までエスカレーター式で進学をされています。
2016年度まで高校の生徒は募集しない、完全中高一貫校でした。
関東学院六浦小学校の入試方法は親子面接および適正検査で行われています。
中学校の偏差値はみんなの中学情報にて42~45となってて、神奈川県で276校中の150位で、全国では3578校中の1881位となります。
小泉家の教育方針はエリート教育ではなく、自主性に任せるものでした。
小学校時代
小泉進次郎さんは、小学校低学年の頃に横須賀の道場で剣道を習っていました。
合宿で嫌になってしまい途中で帰って来た事もあるそうです。
そして、小泉進次郎さんが通ってた剣道場は正栄館磯部道場になり、ここは小泉幸太郎さんも通っています。
同道場は今年創設50周年を迎える。技術の習得はもちろん、挨拶や礼儀作法を身に付けることに力を注ぐ。現在は100人程が在籍し、過去には小泉孝太郎氏、進次郎氏も通っていたことで知られる。
引用:タウンニュース
さらに、水泳・公文・ソフトボール・ピアノなどたくさんの習い事をしていました。
習い事は全部兄のまねで、兄にくっついて行きたいと言う気持ちがあったそうです。
ただ、先に辞めるのも兄なので、兄が辞めて家族が謝りに行ってる姿を見てたので、小泉進次郎さんはなんとなく「辞めずに最後まで頑張らないと」と思ってたそうです。
ピアノは小学校6年まで習ってたそうですよ。
ロールプレイングゲームが大好きで、「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」にハマっていました。
兄の影響で小学校2年からソフトボールを始めています。
兄が投手で小泉進次郎さんが捕手の試合もあり、3歳違いの兄の全力投球が取れずに、試合中に兄弟喧嘩になり、監督に怒られた事もあります。
当時のコーチは、小さな子の面倒をみたり、気配りが出来る少年で、野球もかなり上手だったそうです。
中学時代は野球部
小泉進次郎さんは、中学時代は野球部に所属していました。
ちなみに、小さい時には父親や兄とキャッチボールやノックをして遊んでたそうです。
夏休みに新聞配達を行う
中学3年時に「働くってどういう事だろう?」と疑問が生まれ
と中学3年時の夏休みに、野球部をしながら、1か月半朝刊の毎日新聞配達をしました。
夜12時半に起き、深夜の1時過ぎに新聞配達所に出勤し、朝の6時~7時頃に仕事を終えた後に部活に行き、夕方まで野球をし、ご飯を食べて12時半まで寝ると言う生活を送っていました。
休みは休刊日の1日だけでした。
午前2時の仕事開始にも遅刻する事なく、仕事も素晴らしく、礼儀正しいので、販売店の社長は感心されていました。
三者面談で感動
中学時代の三者面談の時に、先生が「進次郎君にはもう少しリーダーシップを取ってもらいたい」と言って、小泉進次郎さんは「俺そんな事やりたくないよ。」と思い、「ウチのオヤジはどういうかな?」と見てると
と言ってくれた事で、稲妻に打たれた様な気持ちになり、「離れていても自分の事を考えて見ていてくれてるんだな」と親の愛情を感じたそうです。
この時に真逆の事をされてたら、政治家になろうとは思ってなかったかもしれないみたいで、「人生の分かれ目だったかもしれない」そうです。
高校時代は野球漬けの日々
高校受験時に、父親の母校の横須賀高校を受験するも不合格となってしまったそうです。
高校時代も野球部に所属していました。
平日は朝練から放課後の練習、帰っても自主練で素振りを行い、週末は練習試合と野球漬けの高校生活でした。
ポジションはセカンドを守り、常に危機管理を意識していました。
二塁は1球1球、投手の後ろにカバーに入ったり、キャッチャーの配給を見ながら守備位置を変えたり。外野の位置を見て「もう少し前に来い」とか「後ろ行け」とか指示をしたり。とにかく全くアンテナを下す暇がない。
さらに、高校3年時に副キャプテンを務め、主に1番を打っていました。
選球眼は良い方だったので、塁に出る事や走者を送る事を意識し、キャプテンが4番でエースの人だったので、その人をいかにサポートするかを考えていました。
バッティングもセンター返しを中心にチームの為の打撃を自分から行う様な脇役タイプの選手でした。
高校2年時には練習試合で横浜高校と対戦をしています。
当時は松坂大輔さんがエースで試合には出場していませんが、松坂さんはキャッチボールで見た事ない様な剛球を投げてた衝撃は今でも鮮明に覚えてるそうです。
さらに、元DeNAベイスターズの後藤武敏さんのフルスイングも衝撃的で、サードを守ってた小泉進次郎さんはあまりの迫力に身体に戦慄が走りました。
ちなみに、高校3年の練習試合でも横浜高校と対戦していますが、その時は5対4で勝ちました。
この時の横浜高校には、松坂さん・後藤さんは1学年上になるので在籍していませんでした。
高校3年春にはベスト8入り
高校3年の春の県大会では強豪の桐光学園に8対6で勝ち、ベスト8入りし、関東学院六浦高校にとっては歴史的快挙でした。
この成績は同校の野球部のOB曰く
だそうです。
チームも本気で甲子園を目指していましたが、準々決勝で桐蔭学園に1対9で負けました。
高校3年の夏の県大会では南に6対7で負け、ベスト16でした。
高校3年の夏で、最後の試合で満塁で打席に回り、ピッチャーゴロで終わりました。
この時に小泉進次郎さんは当てに行ってしまったそうで、チームにも迷惑をかけてしまい今でも心残りだそうです。
3年夏はシードでの出場となり、以下の感じの戦績でした。
初戦(2回戦)の小田原戦、1番セカンドの小泉は、3打数1安打2打点を記録し、5対0の勝利に貢献。3回戦では逗葉に延長10回の末、2対1、4回戦では好投手・蕨迫淳を擁する百合丘を6対2で連破し、ベスト16に駒を進めた。
百合丘戦では、1対1の7回、「思い切りバットを振り抜いていこう」という監督の指示に応え、先頭打者・小泉が一塁近くで大きくイレギュラーバウンドする二塁打で一挙5得点のビッグイニングをもたらした。
だが、5回戦の南戦では、前半の5点リードをひっくり返され、6対7と無念の逆転負け……。秋・春ともに敗れた優勝候補・桐蔭学園との雪辱戦まであと1勝というところで、涙をのんだ。
引用:デイリー新潮
ベスト16入りした百合丘戦では、父親の小泉純一郎さんが球場に来て応援をされ
「ぶんぶん振り回せ!」「全部真ん中(に投げろ)!」。バントの構えを見せると「もったいないぞ!」と絶叫し、応援に駆けつけていた他の選手たちの家族を笑わせていた。
引用:カナコロ
と言った感じでした。
ちなみに、小学校時代にソフトボールをしてる息子2人に小泉純一郎さんは「バットは振れ」「ボールは投げろ」と言うアドバイスをしてたそうです。
野球部の顧問の小貫直俊さん曰く、野球部の小泉進次郎さんは
彼が2年生のとき、夏の大会で初めて公式戦のスタメンで起用しました。そのとき彼はフォアボールを選んだのです。試合後に『よく我慢してチームプレーをした』と誉めたことを記憶しています。高校生はたいてい打って目立ってやろうと思うもの。彼は真逆で、堅実で地道なタイプだったのでビックリしました
とコメントされていました。
高校時代は純愛
2019年8月30日の東スポWEBの記事にて、高校時代の小泉進次郎さんと彼女とのキスプリクラが流出してしまった経緯について書かれていました。
こちらが、そのプリクラになります。
高校時代の小泉進次郎さんは一途で当時の彼女とはかなりラブラブで、父親が総理大臣の時でもコソコソしないで堂々とデートをしていました。
その為に、彼女とのプリクラを同級生に配りまくってたそうです。
この彼女とは高校卒業後もしばらく交際していました。
本紙は高校時代の進次郎氏と彼女の“キスプリクラ”を入手し、報じたことがあった(写真参照)。なぜこんな代物が出回ったかというと「進次郎が彼女とラブラブなプリクラを撮って、同級生に得意げに配りまくっていたから」(同)にほかならない。
「高校時代の進次郎はいちずで、彼女とは高校卒業後もしばらく付き合っていたと聞いている。父親が時の総理でも、コソコソせずに堂々とデートしていた」とも。
さらに、高校時代の小泉進次郎さんについても書かれてて
- 勉強の成績は下から数えた方が早かった
- とにかく明るく、同級生からの評判は良かった
- 先生は父親が小泉純一郎さんなので、気を使ってた
- 財布には高校生とは思えない大金が入ってて、下校中に友達や彼女と横浜中華街でフカヒレを食べる事もあった
と言った感じの方だったそうです。
学内の評判も上々で「テストの成績は下から数えた方が早かったが、とにかく明るい性格だった。ぶっちゃけ、先生も父親が小泉純一郎ということで気を使っていた。財布の中には高校生らしからぬ大金がいつも入っていて、下校途中に彼女や友人と横浜中華街でフカヒレを食べて帰るなんてこともしていた」(同)という。
高校時代の彼女は押切もえ似のギャル
2015年8月6日の東スポWEBによりますと、高校時代の小泉進次郎さんの彼女はモデルの押切もえさん似で少しギャルメイクをしてて、短いスカートで白いルーズソックスをはいた方です。
結構派手な彼女なんですね。
その隣には片時も離れたくないとばかりに色白彼女が密着。モデルの押切もえ(35)似の彼女はちょっぴりギャルメークで、スカートはお約束のひざ上30センチ。白のルーズソックスが何ともなまめかしい。
入手したプリクラのなかには、進次郎氏の左頬に彼女がキスしているものや「LOVE」「カノジョっち」とサインされたものもある。
さらに、同記事では小泉進次郎さんの高校時代について
- モテてた
- 彼女とは、よくプリクラを撮り、友達に配るなど校内でも有名なラブラブカップルだった
- 当時はどこにでもいる高校生で、野球も恋愛も全力だった
と書かれていました。
ちみみに、高校時代の押切もえさんの画像はこちらです。
こんな感じで高校時代の小泉進次郎さんの彼女は可愛い方だったんでしょうね。
高校時代の彼女は初恋の相手?
2024年9月8日の集英社オンラインでは、高校時代の彼女は小泉進次郎さんの初恋の相手だったのでは?と報じられています。
さらに、高校時代の彼女については
- 野球部の女子マネージャーで、小泉進次郎さんが高校に入学してすぐに告白し、3年間付き合ってた
- 学校で噂になるぐらいの綺麗な女性
- 校内でよく一緒にいて、部活の前に彼女とキャッチボールをしてた
と書かれています。
そんな進次郎氏の初恋の相手と目されるのが高校時代の交際相手だ。
「進次郎くんは高校に入学してすぐ、野球部のマネージャーと交際を始め、3年間交際していました」と語るのは関東学院六浦高校の同級生だ。
「昔の野球部の集合写真に精悍な表情の進次郎と女子マネージャーが写っていたはずです。マネージャーは、学校で噂になるくらいの美形で、告白は進次郎くんのほうからしたそうです。校内でもよく一緒にいて、部活の前に彼女とキャッチボールをしている姿を見かけました」(前出の同級生)
高校時代の動画は?
こちらは高校3年時の小泉進次郎さんの野球の公式試合での動画です。
先制点は、小泉進次郎さんの打席で、ファーストランナーとセカンドランナーがダブルスチールを行い、キャッチャーの悪送球を誘ってのものでした。
この打席では空振りで終わっています。
球児だった頃の小泉進次郎、貼っておきます。。。 pic.twitter.com/jHc64VLx9d
— オキゾウ (@okizo4649) September 7, 2024
高校卒業までお年玉は500円のみ
2024年1月7日に小泉孝太郎さんが「ニノさん」にゲスト出演して小泉家について話していました。
- 小泉家では年末年始はスキーに行ってホテルで年越しをしてた
- 父親の教えで、社会に出るまでは年末年始は家族と過ごさないとダメだった
さらに、お年玉は親戚の人達にのみにしか貰えず、父親からは高校卒業するまでずっと500円で、高校卒業は全く貰えなかったそうです。
親戚以外の人が息子さん2人にお年玉をあげようとすると、「お金をあげないでくれ」と全部断ってたそうです。
小泉純一郎さんは息子さん2人に
と言っていました。
さらに、父親は息子2人だけでなく、親戚の子供達にも全員お年玉は500円のみで、「500円で何ができるのかを考えなさい」と言う教えが入ってるそうです。
小泉純一郎さんは、この様にお金に関しては厳しい教えの方なので、高校時代に財布に大金が入ってて、フカヒレを食べに行ってたと言うエピソードは、もしかしたら違うのかも?しれませんね。
小泉進次郎の学歴|幼少期から高校時代までの画像まとめ
最後に、小泉進次郎さんの幼少期から高校時代までの画像を見ていきたいと思います。
以上が、小泉進次郎さんの学歴に関する記事ですね。
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